2017年4月より、中学高校生と小学高学年の「講読クラス」が開講致しました。定員5名となります。クラスの空き状況につきましては、「お問い合わせフォーム」からお訊ね下さい。クラスの様子やテキストの進行状況につきましては、ウェブログ等でも御覧頂けます。

 

1.『西洋古典を読む』(対象:中学・高校生)

水曜18:40~20:00 担当 福西亮馬

世の中には、「古典のことはよく分からない。読むのも訳するのも時間がかかる」と言う人と、「だからいい。なぜなら自分で立ち止まって考える時間が増えるから」と言葉を接ぐ人と、両方います。どちらも真実を言っており、前者は定説的で、後者は逆説的です。ビジネス書と違って、古典の文章はそれに注力した時間が長ければ長いほど、その人にとって、輝かしい価値を持ちます。打てば響くというわけです。そしていつしかその人の精神における不動の地位を得ます。クラシック(第一席)と呼ばれるゆえんです。

西洋古典の最初のテキストは、セネカの『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)を読みます。「曰く、人生は短い」という定説で始まり、次いで、「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、もっとも偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」という逆説で文章が展開します。このような論理は、おそらく十代の若者の心を掴んで離さないでしょう。若いうちにこそ、学ぶ姿勢をはっとただされる、そんな名文だと思います。もとより古来より愛されてきたわけです。しかもそれほど長文ではありません。岩波文庫で50ページほどです。それを丸ごと味わって読みたいという人は、ぜひご参加ください。

【追記】2017.12.5

このクラスでは、英訳と日本語訳を併用して読んでいます。英訳テキストは、『Seneca On the Shortness of Life』(C. D. N. Costa訳、Penguin Great Ideas、2005)、日本語訳テキストは上記の通りです。

『人生の短さについて』(De brevitate vitae / On the Shortness of Life)は、現在17章を読んでいます。20章まである作品なので、もうすぐ読了します。

そこで、もし希望者があれば、次のテキストには、セネカ『心の平静について』(de Tranquillitate Animi / On Tranquillity of Mind)を読みます。『心の平静について』は、上記の英訳・和訳テキストのどちらにも収められています。

内容は、「もし何か薬をお持ちなら」ということで、セレヌスという人がセネカに不安を相談するところから始まります。「自分のこういうところが嫌で、くよくよするんです」と。今でいう「お悩み相談室」の乗りです。そこで、セネカが出した(言葉の)処方箋は、「自分に信頼し、自分は正道を歩んでいると信ずる」(茂手木訳2.2)ことだとあります。

セネカは、セレヌスの症状に対して、「十分に健康でないのではなくて、十分に健康に慣れていないのだ。」(茂手木訳2.1)と言います。砕けて言い直すと、「あなた(の精神)は十分に健康です。それについて十分に自覚していないだけです」と。これには、『人生の短さについて』でも見た「人生は十分に長い」の逆説を連想します。

いろいろなメディアを通じて、健康法やら勉強法やらで、「あれがないから」「これがないから」と不足を訴えられると、つい不安になってしまう現代人にとっても、ふさわしい切り口だと思います。これを2000年前の文章として読めるのです。

「だから?」という声も一方にはありますが、現代の問題を単に現代的な視点のみでとらえるよりも、過去から現代に通じる普遍的なケースとしてとらえなおす方が、隔靴掻痒の気持ちがより解消されるのではないかと考える次第です。

もしご興味を持たれた方には、日本語訳でもご一読をお勧めしますとともに、クラスへのご参加もお待ちしています。

 

 

2.『東洋古典を読む』(対象:中学・高校生)

木曜18:40~20:00予定 担当 福西亮馬(予定)

このクラスでは、『完訳 三国志』(羅貫中、小川環樹ら訳、岩波文庫)(全8巻)を通読します。黄巾党の乱から晋の成立まで、全120回に分けられています。1回ずつが講釈のように切りのいいところ、いわゆる「引き」によって構成されており、次がまた気になるという面白さです。私がみなさんと共有したいのは、テキスト(日本語訳)を読んで、英雄たちを再びよみがえらせる時間です。血湧き肉踊るような感情体験であり、過去の人物に発奮することです。プルタルコスのカエサル伝によると、カエサルはアレクサンドロス大王の像を見て、「彼は今の自分と同じ頃には世界を征服していた。なのに自分は……」と涙したと言います。三国志の英雄たちの生き様もまた、それを愛好する人にとって、思いを同じくするところでしょう。

たとえば、正史(魏志)にある崔林は、「大器晩成」(の語源の一つ)として知られていますが、私は彼のことが大好きです。そのように「私はあの人が好き」「この人が好き」という人物を語ることは楽しいものでしょう。ただそれが単なる同好のよしみにとどまらず、同じテキストを突き合わせて、すなわち「ソースをしっかり読んで」、あれこれ話し合えば、また違った角度から興味を掘り起こせるでしょう。予備知識を総動員し、テキストに線をたくさん引きましょう。そして気に入った個所を写し取って愛蔵するなど、今から古典の味に親しみましょう。

 

3.『西洋の児童文学を読む』(対象:小学生 新5〜6年※)

(※別紙ご案内で「小学生4年以上」と表記致しておりましたが、正確には「4月からの新5年生以上」が対象となります。訂正とお詫びを申し上げます。)

木曜16:20~17:20 担当 福西亮馬(予定)

本を読み通すこと、そしてそのことに共感する他者と出会うこと、その互いの鏡映しによって、精神のより深いところに種を植え、根を生やせるよう、また作者と永遠に対話できるようになること。そのようなクラスを理想として目指します。そして、同じ作者の異なる作品を読むことによって、読書体験がより深まることを望みます。そこで当初は次のようにテキストを指定します。

1 トンケ・ドラフト『王への手紙』(←2017年4月から、この本に取り組んでおります。) 

2 トンケ・ドラフト『白い盾の少年騎士』

3 エンデ『はてしない物語』    

4 エンデ『モモ』  (いずれも岩波少年文庫)

さて、最初のテキスト、トンケ・ドラフト『王への手紙』(西村由美訳、岩波少年文庫)は、日本ではまだまだ隠れた名作です。各章10ページ前後という大変抑制の効いた構成で、テンポよく、物語の緊張の糸がつむがれます。一度読みかけたらおそらく最後まで読んでしまうことでしょう。その読んで感じたことを報告し合うことが、クラスでの中身となります。良いものを「良い」と言って共感され、好きなものを「好き」と言い合えることで、互いの人生を信じる心を応援したいと願っています。

(上記は抜粋になります。全文の内容は「こちら」をご覧ください)

(授業の進め方は「こちら」をご覧ください)

 

4.『数学が生まれる物語を読む』(対象:中学・高校生)

火曜18:40~20:00 担当 福西亮馬(予定)

二十年も昔の話になります。私が大学一回生の時、「数学という学問を愛する人の目には、物事がこんなにも豊かなものとして映っているのか!」と、筆者の知的土壌に強い憧れを覚える、そんな一冊の本に出会いました。それは『固有値問題30講』(志賀浩二、朝倉書店)でした。当時は何度読んでも理解できませんでしたが、それにも関わらず、私がこの本に魅了された理由は、作者が数学について読者に語りかける時の、あの何とも言えない、まるで未来の大樹となる種に語りかけるような、筆者の日本語の音色にあります。

このクラスでは、同じ著者の『数学が生まれる物語』(全6巻)(岩波書店)を読みます。先人たちによって育まれた「数学」の歴史の本です。第1巻は、自然数、小数、分数です。ペースは1回の授業で半章進む程度でしょう。42章全部を読み切りたいと思うならば、長旅を覚悟しなければなりません。また未知の内容に不安を覚えるかもしれません。あるいは高度な記号が初学者の理解を躓かせるかもしれません。それでも、そのような危険を冒してでも、数学の広い海に憧れ、船出したいという人は必ずいると思います。そのような人はぜひ、門を叩いてください。

(上記は抜粋になります。全文の内容は「こちら」をご覧ください)

 

注)何分予定が含まれますため、内容や講師については、予告なく変更することがあります。その際はあしからずご了承ください。