『数学が生まれる物語を読む』(対象:中学・高校生)

2017年4月から始まるクラスのご紹介です。

『数学が生まれる物語を読む』(対象:中学・高校生)

火曜18:40~20:00 講師:福西亮馬(予定)

……若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。

──『近世数学史談』(高木貞治、岩波文庫)

「陸に飽いた人は、海に出よう! それも自分の船で!」

学校の授業は演習問題がメインです。「AはXである」ということを徹底的に頭に染み込ませます。それは演繹と呼ばれる作業です。一方、それだけでは知的限界があります。「AがXなら、BもXではないか?」という問いを立てて確かめること、それは帰納と呼ばれる作業です。

二十年も昔の話になりますが、私が晴れて大学生になって、それまでとは違う雰囲気に衝撃を受けた出来事の一つは、大学附属図書館の存在でした。そこで、特に一回生の頃は文学の授業に影響を受け、自由に本を手に取って読んでいました。そこで出会ったカルチャーショックは二つありました。一つは哲学書の棚、もう一つは数学書の棚です。その後者において、「数学という学問を愛する人の目には、物事がこんなにも豊かなものとして映っているのか!」と、筆者の知的土壌に強い憧れを覚える、そんな一冊の本に出会いました。それが『固有値問題30講』(志賀浩二、朝倉書店)でした。当時は何度読んでも最後の方まで理解が到達しませんでした(今でも十分理解はしていないと思いますが)。それにも関わらず、私がこの本に魅了され続けたのは、作者が数学について読者に語りかける時の、あの何とも言えない、まるで未来の大樹となる種に語りかけるような、日本語の音色です。

大学生を対象に書かれた『数学が育っていく物語』(志賀浩二、岩波書店)のはしがきに、作者は、次のように書いています。

土の中で、根が少しずつ育っていく状況は、数学がその創造の過程で、暗い、まだ光の見えないところに手を延ばし、未知の真理を求めるさまによく似ています。私は数学のこの隠れた働きに眼を凝らし、意識を向けながら、そこからいかに多くの実りが、数学にもたらされたかを書こうと思いました。

私は、それを含んだ抜き書きをパソコン上に残していましたが、そこに当時の私はこう書いていました。「これを読み返すことがあるたびに、私はきっと数学を好きになっていくのだろう」と。そしてこの案内文を書いている時にもまた目にしました。

このクラスでは、『数学が育っていく物語』の姉妹版にあたる(中学高校生を対象に書かれた)、『数学が生まれる物語』(全6巻)(志賀浩二、岩波書店)を読みます。先人たちの「帰納」によって育まれた「数学」の歴史の本です。第1巻は、自然数、小数、分数です。ペースは1回の授業で半章進む程度でしょう。42章全部を読み切りたいと思うならば、旅はいっそう覚悟のいるものとなるでしょう。また未知の内容に不安を覚えるかもしれません。あるいは高度な記号が初学者の理解を躓かせるかもしれません。それでも、そのような危険を冒してでも、数学の広い海に船出したい人、遠い眺望によって今の学びの位置付けを知り、多少のことでは揺るがない自信を持ちたい人、そして日本語でそれを体験したい人──そのような数学への野心と憧れとを持つ人は、このクラスの門を叩いてください。もちろんいつ来ていつ去っても構いません。

一つだけ守ってほしいことがあります。それは「予習を欠かさない」という姿勢を保つことです。山の学校では、ラテン語やギリシャ語などの語学の講読クラスでは、毎週30行なら30行、受講生の直訳してこられたものをベースに、音読、文法的な確認、そして解釈がなされています。そのため、受講生の予習(直訳)がなければ授業は成り立ちません。予習は時にしんどいものではありますが、その強制力はむしろ受講生の主体性を守る枠組みだろうと考えます。それと同じものが、数学書の講読においても必要と考えます。

このクラスでできることは、演繹のベースをすでに持っている方に、帰納的な発想の機会を提供することです。

なお、上に挙げたテキストは、新版はサイズが小さく学習に不向きのため、旧版のワイド版がよいです。古本でお求めください。

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