恩師上田哲行先生がおかきになった文章をご紹介します。

上田先生と言えば、本園でご講演いただいたことも記憶に新しいところです。
>>2016-12-01 園内講演会(上田哲行先生)

先生曰く、「京都山科の一灯園学園の夏合宿のお手伝いをする機会があり、その時の感想を求められた一文」とのことですが、私はレイチェル・カーソンが合宿の場に現れて、上田先生になにかを語りかけているような映像が心に浮かび、感銘を受けました。

先生ならびに一燈園のご許可を得て、以下の文章をここに掲載させていただきます。

「皆さんと一緒に嵐の海岸を体験して感じたこと」

プロジェクト・アイ会長
石川県立大学客員教授 上田哲行

 谷野先生からプロジェクト・アイの事務局にメールが届いたのは2月9日のことです。一燈園中学・高等学校の宿泊研修を夏に石川県で行うので、イカリモンハンミョウについての講義や研修を依頼できないかという内容でした。谷野先生自身が志賀町の出身で実家に帰省中に県立大学のアンケートを目にして初めてイカリモンハンミョウのことを知り、離れた場所に生活する子どもたちにとっても良い学習材料になるのではないかと考えられた旨が書き添えてありました。

 メールにあるアンケートというのは、本学の山下良平准教授が、イカリモンハンミョウという希少種を地域振興にどのように結びつけるかというテーマの研究の一環として実施されたもので、イカリモンハンミョウが生息する羽咋市と志賀町の住民の意識調査を行ったものです。それをたまたま帰省中の谷野先生がご覧になったということだと思われます。

 プロジェクト・アイの正式な名称は「能登はんみょう海岸を守り愛するプロジェクト・アイ」です。能登はんみょう海岸とは、イカリモンハンミョウが現在も生息する、羽咋市柴垣海岸、志賀町甘田海岸、志賀町大島海岸の3つの海岸を統一する名称としてプロジェクト・アイで決めたものです。3つの地域で力を合わせてイカリモンハンミョウを守っていって欲しいという願いを込めて統一名称を公募しました。

 プロジェクト・アイは、2015年3月にに発足したばかりの団体で、イカリモンハンミョウとイカリモンハンミョウが生息する砂浜を守ることを目的としています。試行錯誤の1年をようやく終え、1年目の反省を踏まえて、もっと積極的に能登はんみょう海岸の自然を活かした体験プログラムを作成し、実施していく必要があると考えていた矢先に頂いたメールでした。そのようなことも意識して今回の体験メニューを検討させて頂きました。お陰様で、これからの体験プログラムのひな形が出来上がったように思います。

 お話をお受けした時に、ただ1つの不安がありました。私のこれまでの経験から、中学生から高校生にかけての時期は、自然からいちばん遠ざかる時期で、自然に、とりわけイカリモンハンミョウなどというちっぽけな虫に果たして興味を持ってもらえるだろうかということでした。幸いそれは杞憂に終わりました。夜の講義でも、一方通行の私の長い話にも、生き生きとしたまなざしで付き合ってくれました。また、翌々日の海岸での体験学習は、途中から横殴りの雨風に見舞われるという最悪な条件でしたが、多くの生徒さん達は、びしょ濡れになりながらも、それにも負けずに楽しんでいるような様子で、たくましさを感じました。

 今年はイカリモンハンミョウが近年になく多い年で、例年であれば姿を見ることがほとんど期待できない時期にもかかわらず、また、悪天候にもかかわらず、参加者全員がイカリモンハンミョウを観察することができたことは幸いでした。多少の雨が降ってもカッパを用意してもらっていたので何とかなるだろうと思っていたのですが、そのカッパもほとんど役に立たないような風雨でしたので、海岸で過ごす時間が短くなったのは大変残念でした。しかし、雨風の中でも好奇心いっぱいな子どもたちもいて、波打ち際で、波の動きに合わせて砂に潜ったり、波に乗って移動するフジノハナガイを、砂と潮水と一種に採集してきてくれた班があったのには驚き、皆さんに是非見てもらいたいと思っていましたので感謝しました。

 天候には恵まれませんでしたが、強い風雨の中で海岸を歩くという体験は滅多にできるものではありません。私自身、これまでにも一度もありません。このような機会でもなければ、体験することもなかったのではないかと思っています。

 夜の講義の中で紹介したレイチェル・カーソンの『センス・オブ。ワンダー』は、雨の降る夜中に、1才8ヶ月になったばかりの甥っ子を毛布にくるんで海岸におりていくところから始まります。「海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。私たちは、真っ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。そのとき、不思議なことに私たちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされ、いっしょに笑い声をあげていました。」「まだほんの幼い頃から子どもを荒々しい自然の中に連れ出し、楽しませるということは、おそらく、ありきたりの遊ばせかたではないでしょう。」と彼女は言います。でも、彼女はその後も、何度も何度も幼い甥っ子と一緒に、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も自然の中に探検に出かけます。「それは、なにかを教えるためにではなく、いっしょに楽しむためなのです。」知ることは感じることの半分も重要でないと固く信じる彼女は、自然の最大の贈り物は、センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)を授けてくれることだと考えていました。それゆえ、おだやかで美しい自然ばかりでなく、荒々しく恐ろしい自然の中に子どもを連れ出す必要があったのかも知れません。

 私自身、彼女のこの言葉を引用して、お母さん方や保育園の先生に雨の日にも子どもたちを自然の中に連れ出すことが重要ですよと、提案していたりしたのですが、肝心の私は、雨の日は家の中に閉じこもって、猫と一緒にぐうたらという状態でした。口先だけの人間だったのです。ですから、今回のことで一番貴重な体験をしたのは私かも知れません。口先だけの人間から少しだけ脱出できた気がします。生徒さん達も、振り返ればきっと貴重な体験として、自然の荒々しさも感じ取って頂けたのではないかと勝手に思っているところです。

 最後に、谷野先生のメールにあった「離れた場所に生活する子どもたちにとっても学習材料になる」という文章を読んで思いだしたことを書きます。

 ずいぶん前に、多くの人が見たことも聞いたこともないような希少種を、イカリモンハンミョウもそうですが、なぜ守る必要があるのかという文章を書く必要に迫られたことがあります。希少種を守る理由についてはいろいろな人が考えていて、様々な考え方が示されています。それぞれある程度の説得力はあるのですが、何か理屈が先行して、かえって納得させるものではない気がしていました。考えあぐねていた時に、亡くなった写真家の星野道夫さんの次のような一文に出会いました。

「人間には二つの大切な自然がある。日々の暮らしの中で関わる身近な自然、そしてもうひとつはなかなか行くことのできない遠い自然である。が、遠い自然は、心の中で想うだけでもいい。そこにあるというだけで、何かを想像し、気持ちが豊かになってくる。」
—星野道夫『アラスカ 風のような物語』(小学館文庫)より

 これで良いのだと感じました。見たこともない自然、生きものであっても想像することができる。そして気持ちが豊かになる。それで十分ではないかと思いました。この星野さんの文を、何の解説も付けずに冒頭に置き、いろいろ余計なこと(希少種を守る意義について色んな人が言っていること)を書き連ね、最後は、「ともかくはまず、見たこともない生きものにも関心を寄せることから始めたい。そして遠くの自然を想い、心豊かに楽しむ星野さんの境地を持ちたいものだと思う。想像力は唯一人類の特性なのだから。」と締めくくって何とか、やっかいな宿題を果たしました。

 その時のことを思いだして、私たちがプロジェクト・アイで目指していることもこれなのかなと、しばし感慨に浸りました。ただ、残念ながら、誰もが星野さんの境地に達することに価値を見出すとは限りません。一人なら良いのですが、活動としてやっていくには、もう少し何かが必要かも知れないとも今は思っています。その「何か」がなかなか見つからない。

 私たちはイカリモンハンミョウを幸せの虫と名づけています。滅多にお目にかかれない虫だから、見ることができた人は幸運なのだと。もちろん、いつまでも幻の虫としてイカリモンハンミョウのことをあれこれ想像することも楽しいに違いないのですが、イカリモンハンミョウに幸運にも出会ったとして、それで終わりではありません。自然はそう易々と手の内の全てをさらけ出してはくれません。むしろ、垣間見た自然であれば、余計に想像力がかき立てられるのではないでしょうか。実際、私たちはイカリモンハンミョウの生態を研究しながら、彼らの生活の謎のベールを1枚ずつはがしていくごとに新鮮な驚きを感じ続けています。そして、さらに謎が深まるのを感じます。数十万年という時の重みに圧倒されると言っても良いかも知れません。でも、それが楽しいのです。

 これを機会に、皆さんも遙か昔に能登にやって来たイカリモンハンミョウの悠久の時の流れを、私たちと一緒に想像し、楽しんで欲しいものだと思っています。あの嵐の海岸でのひとときの体験が、皆さんのセンス・オブ・ワンダーに一つの新しい燈をともしてくれたと信じて、この一文を終えることにします。

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