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今日は上田哲行先生をお招きし、園内講演会を実施しました。

まず初めに、上田先生が言及された「山びこ通信」のエッセイはこちらです。>>「『子どもは大人の父である』考」

そこでふれているとおり、先生は私の中学、高校時代の家庭教師の先生でした。

今日のお話のタイトルは、「子どもは大人の父である —幼児にとっての自然—」、先生から原稿としていただいた概要は次の通りです。

「みずみずしい子ども時代の感性は大人になるにつれ失われていくようです。なぜ失ってしまうのでしょうか。その理由を考えることで,子ども時代がいかにかけがえのない時であるかに気づかされます。その子ども時代に自然に触れ感じることの大切さを考えてみたいと思います。」

本日の講演を聴かれた保護者から、早速次の感想を頂戴しました。

「子どもが子供らしく、
というのが難しい時代になってきているのと同じように、
情報過多が故に、大人にとっても生きにくい時代に
ますますなっていくのかもしれませんね。

しかし、人格の根っこに五感をフルに活用して得た原風景があれば、
後々の強みになってくるのだろうと確信しております。
改めて、幼稚園での時間、おやまの学校での素晴らしい時間に感謝いたします。
日々刻々と流れる時間と風景に子どもたちと足を止め、
眺めることの大切さを思いながら過ごしていこうと思います。」

このような感想のお言葉を頂戴し、先生にお話をお願いしてよかったと心から思いました。

私の感想はいろいろあって書き切れないのですが、「立ち止まって考える」ことの大事さを再認識できてよかったです。

「受け手」と「送り手」の話がありましたが、今日の先生のお話の流れとして、「私」自身が先生に出会った時点で「原風景」を持った子であったことになります。原風景と言えば、次の星野道夫さんの言葉が有名かと思います。

「子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、
勇気を与えられたりすることがきっとある。~星野道夫『長い旅の途上』

上田先生のお話、ならびにこの星野さんの言葉をもとに自分の原風景を考えてみると、それはやはり山の上から眺める景色だと思います。

本園に通う子どもたちも、将来私と同じようなことを答えてくれるかもしれません。

ただ、もう一つの私の原風景と言ってよいものがあり、それは一度見たきり今も忘れることができません。

大学に勤めていた頃、自転車で家路を急いでいたのですが、夕日がとてもきれいに見えました。そのとき、同じように自転車を停めて夕日を見ている家族がありました。

お母さんが幼い子を前後に乗せて、夕日を指さして何かを子どもたちに語っておられました。その光景が今もシルエットのように目に蘇ります。

幸せな家族の姿だと今も思います。

翻って、今日現在も新たな風景を毎朝、毎日心に刻みます。

それは、子どもたちを笑顔で送って下さる保護者の姿であり、また、両手を広げて子どもたちを迎えてくださる保護者の姿です。

ありがたいことだと手を合わせる気持ちです。

今日のお話は自分自身たくさんの宿題を頂戴した気持ちでいますので、時間を掛けて整理しながら、何か見えてきたものがあれば保護者会などでお話をさせていただきます。

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