今日の年長の俳句の時間では、芭蕉の一句を紹介しました。

梅咲いて 喜ぶ鳥の 気色かな

子どもたちに俳句の意味を尋ねると、今梅が満開であることをよく知っていて、この俳句の描く世界を十分イメージできているようでした。

園児の俳句は一句。「いちごは すっぱいあまい どっちかな」。なかなか斬新なテーマ設定ですね。子どもたちは俳句に親しむにつれ、日常の様々な経験を思い浮かべながら、5,7,5の言葉で切り取る面白さをみな味わっています。

最後に「いちご」つながりで、小学校になってからさまざまな言葉と出会うこと、その中できっといつか出会う大事な言葉を紹介します、と述べたうえで、「一期一会」(いちごいちえ)を紹介しました。私に続き、みなでこの言葉を復唱しました。

一瞬一瞬は二度と戻らない大切なもの。人との出会いも同じこと。今共に過ごすことができるのは当たり前ではないこと。一瞬が大事ということでいえば、小学校からの勉強も同じで、同じ一瞬はないこと。先生は同じ話を二度されない。聞き逃さぬようしっかり前を向いてお話をよく聞きましょう。

先日「卒業」の言葉の意味について書きましたが、「卒業」の「終わる」(or 別れる)という視点と、英語(commencement)の「始まる」(or 出会う)ととらえる見方の両方あるというのがポイントでした。

「一期一会」も同じであり、一瞬は過ぎ去って二度と戻らないという見方と同時に、次に新しい経験が訪れるという見方の二つが可能です(前者の認識が研ぎ澄まされると、後者の「新しさ」に鋭敏に気づくのでしょう。「たいくつ」というのは「いつも同じ。変わらない」という思い込みです)。

この話題に触れるたび、私は小学校の卒業文集のことを思い出します。

親が子に送るメッセージというコーナーがあり、父は次の言葉を残しました。

「一瞬一瞬。二度とこないこの一瞬。一瞬一瞬を大切にしていこうね」。

曲がりながらも私はこの言葉を忘れずにやってきたように思います。

一方、これも以前書いたことですが、父が2005年夏、病床にふしたとき、私はこの言葉を父に伝え、1日にの中にも無限ともいえる「一瞬」があること、そうして数えたら1週間は「永遠」といえるほど長い時間の連続であること、などを語ったことを思い出します。

卒園まで残りわずかとなりました。そのとおりですが、同時に「お楽しみはこれから」という見方もできるということです。

運命は人間の思い通りにはなりません。「終わり」や「別れ」は運命の必然です。しかし、何かがなくなるということは何かと出会うことであり、新しい変化に対してポジティブに向き合うことで、その新しい「よさ」を最大限満喫できる心の準備ができるということです。

いつか今日の年長児がこのエントリー記事を読む日があればと願っています。

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