絵の話の続きです。

子どもが絵を描いていたら、基本的には、1)一緒に自分も描く(a.同じものを描く、b. 絵を描いている子どもを描く、etc.)、2)子ども任せにする、のどちらかになりますが、子どもが描いている絵についての論評は必要最小限にするのがよいと私は思っています。

否定的な言葉は論外として、肯定的な言葉(いわゆる誉め言葉)も少ないほうがよいと思っています。これは自分が子どもであれば、と想像して(あるいは子ども時代を思い出して)そうあってほしい、ということを書いています(どういう視線で見守るのがよいかは後述)。

その意味では、1)で親自身が真剣に描くことに打ち込めば自然にそうなると言えるかもしれません(子どもの絵にかまっていられない)。2)の場合、「かけたー」と親に持ってくる場合、もちろん無言はご法度ですが、応対は必要最小限(たとえば、「あ、できたね」とかなんとか)がよいと思うのです。かけたーと持ってくる場合、それが「おかわり」つまり「次の紙がほしい」という場合はどんどん継ぎ足してほしいです(時間その他が許すなら)。もし親の評価を求めてなら、にっこり微笑む+α(ぷらすあるふぁ)で十分です。誰かを喜ばせるために絵を描くより、子どもには(すべてを忘れて)夢中になる時間を楽しんでもらいたいと思うからです。

子どもの絵を描くのをみていると、あきっぽくて、白いところがいっぱい残っているのに、すぐ「次の紙ちょうだい」と要求する、と思う場面もあります(=昔の私・・・)。こと絵に関しては、「それもよし」と寛大に対応してもらえるとうれしいです。たぶん、自分の壮大なビジョンの出だしでつまづいたので、リセットしたいのですが、消しゴムで全部けしていると、その間に壮大なビジョンが夢のように消えていくので、その時間が惜しくて、「早く次の紙を」となるのだと思います(そうでなくても、そうだと思うようにしましょう)。

自由画帳なら、親に求めなくても次々と新しいページに絵を描いていくので、そっとしておけます。ただし、子どものいないときに、その自由画長を手に取ってページを繰っても、たぶん、白いところがいっぱい残っていると思います。普通の親なら、もったいないと感じて、あれこれ「指導」したくなりますが、子どもが「絵で心を開放する」ということ意義を認めるのであれば、そっとしておくのがよいと私は思います。幼稚園の場合、全員に白い紙を配り、作品を創る活動として絵を描くことを位置づけますので、適切な指導を行う(励ましや助言)をする場合はありますが、家庭での絵の取り組みは、基本的に「微笑んで見守る」のがベストです。

どんな子も最初に鉛筆を手にして、ぐるぐるまるをかく日があります。あきずにいくつもまるを描き続けている日があります。それを親はだまって指先を見つめ、すごいな、よくやるな、こんなことができるようになったんだ、と感動しますね?白いところが残っていようと、何をかいていようと、ひたすらぐるぐるかいている。思い出してください。それだけの行為に対して、心から子どもへのリスペクトが生まれましたね。その延長で、子どもの絵のたわむれを心で応援する、というのがよいと私は思います。

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