園児と手をつないで歩いていると、ちょっとした教育相談を受けることがあります(グループを問わず、年度を問わず)。

「あんなー、おにいちゃんなー、おこられはるねん。」といった具合にです。

部屋の片づけをしていない、というのが叱られる理由の場合、そしてそれを伝える子が「自分はちゃんとできている」という立場で語る場合、態度にどこか余裕が感じられます。「だめねー、あのひとは」という感じで(つまりお母さんの肩を持つ感じで)伝えてきます(たいていは女児)。

一方、叱られる理由が、宿題をしなかったとか、テストの点が悪かった、という場合は、伝える子どもの態度もどこか神妙です(男女を問わず)。

そういうときは、私は親の肩をもち、「がんばれー、ておうえんしてはるんやね」と言います。

「ふーん(そうか)」で終わることもあれば、「でも、すごいおこられはるねん」と話が伸びる場合もあります。

そんなときは、笑って、「すごーくおうえんしてはるんやろね」と言ってねばります。

小学生の兄(または姉)が叱られる理由に学校の成績が絡む場合、なぜそのことを伝える園児の顔が煮え切らないのか、心中を察すると、「しょうがっこうにいったら、じぶんも、ああやっておこられるのかなあ?」という予想をしているから、というのが私なりの答えです。

「部屋を片付けないで叱られる」というケースは、「自分は大丈夫」と思える場合は気楽ですが、学校の勉強は未知の体験になるので、兄姉が受ける対応は、自分の未来像になります。

筋を通し、だめなものはだめ、という叱り方も大切ですが、あとでふりかえり、あれほど言うんじゃなかった、と思えるケースの場合、つまり、どうしても感情が入りすぎる傾向の場合、できれば、その感情を「努めてほめる」方向で生かしてもらえたらと思います。

保護者会では何度も言った話ですが、わたしのおすすめは、試験の〇のついた箇所だけを指さして、「100点だ」と(本気でうれしい気持ちを前面に出して=演技が下手だと痛烈な皮肉に受けとられるので逆効果)言って喜びあいます。5問中3つしかできていない場合、大人のものさしだと60点ですが、あえて子どもになって「できたところだけ数えたら100点」と考えてみます。

そのあとで、「この調子でできなかったところもできたら、『全部100点!』」と言うと、言われた方はやろうという気になります(低学年であるほど素直にそう思います)。

いっぽう、「できた」箇所にも目を向けて、とめやはねがやや不十分であるとか、字が少しいがんでいる、といった場合、まるはまるでも、「こう書いたらどうか」と、別の紙に丁寧に書いて見せると「なるほど、たしかにそのほうがよい」と思えます。「こうかきなさい」という命令口調だとこれも逆の効果を与えますので、「できたところは100点」と盛り上がった流れにのせて、さりげなく、「ほんとうにできる」ということがどういうことか(字をていねいに書くことからはじまり、学年があがれば、『ここ、できているけど、どうしてこうなるか口でいえるかな?』とほりさげることも求めてよい)確認することが大切です。

要は、学校でやりとりされる表向きの評価(試験の結果)だけに一喜一憂せず、各家庭なりに本当に大事にすべきこと(ていねいに学ぶとか、深くほりさげるという学習態度も含めて)を日頃から親が伝え、それを見守る姿勢を持てば、長い目で見た場合、目先の点数はさほど気にする必要はない、というのが私の考えです。

幼稚園に通う弟や妹が、「学校に行くことをわくわくできるように」兄、姉への対応をすこしふりかえるとよいように思う場合があり、一般的なことを少し書いてみました。

関連記事: