9月に入り、二度入園説明会を開催しました。

歩いての登園の意義について、また、本園が大事にしている教育の「バランス」について、お話をさせて頂きました。

前者の意義については、「こういう時代だからこそ歩かせたい」とお考えのご家庭にとっては、何も付け加えて申し上げることはありません。

毎日コンスタントに歩くことに加え、200段近い石段を登ることによって、知らず知らずのうちに体が強くなるだけでなく、忍耐力や優しさを育むことが出来ます。

子どもたちは、けっして無理をしているのではなく、「ほどよく、むりなく、こんきよく」(そして「楽しく」)山道を登ります。

途中でキノコを発見したり、いつのまにか緑の葉が赤く色づいたり、毎日さまざまなドラマが待ち受けるわけですが、その一つ一つがやがて「思い出」という名の物語に結晶することでしょう。

一方、教育の「バランス」についてですが、これも、今用いた「ほどよく、むりなく、こんきよく」というフレーズがあてはまるでしょう。

大人の期待する「何か」に特化して園生活のカリキュラムを用意すれば、たしかに短期間で一定の「成果」は出るでしょう。ただし、時間は有限であるかぎり、何かを特別扱いすれば、何かを犠牲にせざるをえません。

食事で喩えると、体にいいからという理由で「何か」を必要以上に摂取すると、その他の食品を食べる余裕がなくなるのと同じです。

さまざまな食品を「ほどよく、むりなく、こんきよく(良く噛んで)」採るのが一番体によいのでしょう。

同じことが教育についても言えます。

部屋の中の時間と外の時間、設定保育と自由保育。

本園はどの時間も、お子さんの将来にとって等しく大切なものであると考え、それぞれの時間が意義深く楽しいものとなるよう、毎日放課後は、翌日の準備や打ち合わせを職員全員で行っています。

さて、昨日の説明会では「ゴムひもの話」を少ししました。

ゴム紐を伸ばすとき、何本も束ねるより一本だけを伸ばす方が楽で、たくさん伸びます。

たとえば、(まだ将来の話題ですが)、受験で合格することを至上命題としたとき、試験に出ない科目の勉強は最初から放棄した方が合格しやすい?と考えたり、クラブ活動や友達とのつきあい、家での手伝いその他はやらないほうがいい?と考えたりするのは、上のゴム紐の理屈で説明できます。

目的を明確にするとは、ゴムの数を絞ることです。

しかし、そのことは言い換えると、自分の持つ様々な可能性を一つずつ閉ざすことです。

昔から大器晩成という言葉もあります。

前途洋々たる幼児期です。

ゴムの数はできる多く用意し、子どもたちには「ほどよく、むりなく、こんきよく」それらにふれさせ、なじませるのがよい、と私は考えます。

好奇心をどう伸ばすか?という問いもよく耳にします。

私は好奇心は伸ばすものではなく、守るものだといつもお返事します。

大人の「目的意識」が、好奇心の芽を一つ、また一つと「何かの目標のために」摘み取るのが一般的な対応だからです(子を思う親心のなせるわざですが・・・)。

子ども時代に好奇心に輝いていない子は一人もいません。

その好奇心が輝きを失わないために、周囲の大人がこれを尊重するのか、常識をふりかざすのか。

子どもが何かを問うたとき、すぐに答えを教えることがよいとは限りません。

そんなときには、「よし、いっしょに考えてみよう」とじっくりそばに寄り添うことが大切です。

そうすれば、子どもたちは時間をかけてものを考えるようになるでしょう。

そのためにも、私たちは、子どもたちを取り巻く「空気」を大切にしています。

大人が目的意識を持ちすぎ眉間にしわを寄せているようでは、豊かな成長を育む「空気」は期待できません。

誰もが短い視野で目的を持つ限り、緊張感が走り、眉間にしわがよります。しかし、それは子どもの真の成長にとって逆効果です。

「ほどよく、むりなく、こんきよく」(そして楽しく)。

私たち北白川幼稚園の教職員は、誰もが上で述べた考えを胸に収めつつ、子どもたちと楽しく実りある時間を過ごせるよう工夫を凝らしています。

幸いにしてそれが可能であるのは、私たちが目線を遠い先に置き、いつも、子どもたちの1年、5年、10年、20年先のことを考えながら言葉を選び、できる限りの機会を捉えて子どもたちを励まそうと待ち構えているからなのです。

以上が、入園説明会でお話ししたことのまとめと補足です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

(ご事情で参加できなかった等の場合、いつでもご見学にお越し下さい。個別に対応させて頂きます)。

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