ノーベル賞の本庶先生の子どもたちへのメッセージに感銘を受けました。

教科書に書いてあることもあえて疑うこと、「なぜそう言えるのか?」、納得いくまで問い続けることの大切さを語っておられました。

本来どの子にも本来生き生きと輝く好奇心を、「やらないといけない」狭い学びの枠組みの中で窒息させていくことは罪深いと思いました。

あえて言えば、子どもの「なぜ?」の問いに即答せず、ただ「ほんとやね、不思議やね。ようそんなことを思いついたなあ」と心の中で、あるいは言葉に出して相槌を打てる大人でありたい、と私は思いました。

じつはそんな大人はきわめて少数派です。(何度も書きましたが、「星の王子様」の冒頭のエピソードは「教師然とする大人」を皮肉るものです)。

本庶先生が「活発でよく遊ぶ子だった」というエピソードも、幼児教育に携わる立場として大事にしたいテーマだと思いました。

P.S.
二千年前のローマのキケローは次のような言葉を残しています。

我こそは教える資格ありと公言する者の権威は、何かを学ぼうとする人間にしばしば害をなす。学ぼうとする者はやがて自ら判断することをやめ、自分が正しいと是認した人間による判断を目にしては、それをもっともな意見として鵜呑みにするようになるからである。(キケロー『神々の本性について』)

これに関連したエッセイはこちら。

>>Ipse dixit.子曰わく

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