「歴史を読む」新クラス、はじめます。

AI時代にこそ育てたい、「考える力」と「読む力」

山下です。

共通一次試験の導入以後、日本の入試は少しずつ性格を変えてきたように思います。マークシート方式そのものが悪いというよりも、試験範囲や出題形式が「見える化」され、学習がその枠の中で最適化されやすくなった、という点が大きいのではないでしょうか。

もちろん、導入以前にも出題範囲はありました。ただ、何がどのように問われるかという不確実性は、今より大きかったと思います。そのため、受験勉強の一部として本を読むことには意味がありました。読書は、未知の問いに備える「保険」になり、語彙や背景知識、文章を丁寧に読み切る力を底上げしてくれます。何が出るかわからない状況では、「広く読む」ことは合理的な対策でもあったのです。

ところが、範囲と形式が明確になり、対策が整えば整うほど、学習は閉じた枠の中で「点数に変換」されやすくなります。そうなると、範囲外のことは、本人の意欲とは別に「点に直結しないもの」として後回しになりがちです。結果として、読書は本来とても大切なのに、受験の現場では遠回り、時には「邪魔」とさえ見なされてしまうことがあります。導入前は読書が必要とされ、導入後は読書が効率の観点から敬遠されやすくなった。

少なくとも、そういう傾向が生まれやすくなったのではないか、という問題意識を私は抱いています。

この話は、受験の損得だけの問題ではありません。社会の土台に関わることでもあります。民主主義の社会で大切なのは、与えられた選択肢の中から正解を素早く選ぶ力だけではなく、「そもそも何が問題なのか」「問いの立て方はこれでよいのか」「前提は正しいのか」を自分の頭で確かめる力だと思います。言い換えれば、答える力と同じくらい、問う力が大切だということです。

そして近年は、生成AIの発達で「答えらしきもの」にたどり着くことが以前より簡単になりました。便利な時代になった一方で、だからこそ「その答えは妥当か」「どこが論点か」を自分で点検する習慣を失わないことが、ますます重要になっているように思います。考える力は、どんな時代でも人間の基盤であり、最大の武器です。

山の学校では、こうした問題意識を理念として語るだけでなく、子どもたちの学びの場で具体的な形にしたいと考えています。そこでこの四月から、小学4〜6年生向けに新クラス「歴史を読む」を開講します。

担当は澤田先生です。澤田先生は、山の学校で小学校から高校まで学び、昨春、京都大学文学部に現役合格しました(現在も大人向けの「現代世界史」クラスで学びを続けています)。このクラスで大切にしたいのは、知識を暗記すること以上に、歴史の「考え方」を身につけることです。そのための手段が、テキストの精読(本の内容についてよく考えながら、じっくり読むこと)です。

テキストに書かれていることをそのまま鵜呑みにするのではなく、「書かれていることは本当でしょうか」「議論の進め方はこれでよいでしょうか」と、自分から積極的に本に向かっていく姿勢を育てます。難しく感じるかもしれませんが、このクラスでは正解があらかじめ決まっているわけではありません。受講生それぞれの読み方を共有し、考えを言葉にしていくことに大きな意味があると考えています。

「答えを覚える」だけの学びではなく、「問いを立てて考える」学びを、子どもたちに手渡したいと思っています。読書が“遠回り”に見えてしまう時代だからこそ、本とじっくり向き合い、自分の頭で考え、仲間と考えを交わす経験は、きっと一生の財産になります。澤田先生の「歴史を読む」が、そのきっかけになればうれしいです。