山下です。
昨日の「ラテン語の夕べ」(ホラーティウスのラテン語)に参加された方から、つぎのようなご感想をいただきました。
次回は11/23に「ルクレーティウスのラテン語」のお話を予定しています。ご関心のある方はぜひお申し込みいただけたらと思います。
>>「古典語の夕べ」(11/23)

昨晩は「ラテン語の夕べ ホラーティウスのラテン語」の講義を誠にありがとうございました。

名言の一句一句だけでなく、それらに続く文章や、『酒の詩』では、背景にあるウェルギリウスの詩との関連も紹介してくださり、より理解が深まり、大変面白かったです。

「中庸の徳」には大変共感しました。Fuge magna.は新たに座右の銘になりました。その後に続く文章により、ただ単にほどほどでよい、というのではなく、そのことは執着を手放すことであり、それこそが”王さえも凌駕するのだ”、という強い言葉であることがわかりました。

Dōna praesentis cape laetus hōrae. は、日本人にぴったりの忠告ではないかと思います。”何かのはからいで与えられている贈り物”ですから、難しく考えないで(linque sevēra)受け取ればよいというのは、遠慮深く、受け取ることに罪悪感を感じることの多い、よく言えば謙虚な日本人にはかえって難しいことではないでしょうか。”自分はそれに値する”ととらえて、”時の贈り物”を素直に受け取ることは、ものごとを自然のように巡らせるのではないかと思います。(あくまで個人的な解釈です。)

Vixī (と、付け加えてくださった、Dixī, Fēcī )のお話も大変面白かったです。東洋医学者の伊藤真愚先生が、寝る時に「さて、寝るか」ではなく、『さて、死ぬか』と言うことを提唱されたという話を思い出しました。死から生を考えることでもあります。実際それを実践した人たちは人生観が変わったということです。今日もよく生きた、さて死ぬか、は、まさにVixīですね。毎晩そういえる毎日を過ごしたいと思いました。

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