山びこ通信2021年度号(2022年2月発行)より下記の記事を転載致します。

『日本文化論を読む』

担当 中島 啓勝

 以前から断続的に開講されてきたこの授業ですが、受講者と講師で相談しながら課題図書を決定し、毎週少しずつ読み進めていきます。テキストは基本的に「日本文化論」「日本社会論」もしくは「日本人論」と呼ばれるような評論・エッセイを中心に選んでいますが、そこはあまり厳密には考えていません。ある程度「日本」に関するテキストであれば何でも構わない、くらいのスタンスで続けてきました。現在は社会人の方一名と一緒にオンラインでの授業を行っております。
ちなみに、この受講者の方は元々とりたてて「日本文化論」というジャンルに関心があったわけではなく、とにかく何らかの人文的教養に触れて勉強し直したくて受講を希望されたとのことでした。そのため、最初は「本当にこの授業で大丈夫だろうか、楽しんでもらえるのだろうか」と心配していたのですが、実際に授業を重ねていくうちに杞憂だとわかりました。社会経験が豊かな方ほど「日本」にまつわる議論に触れるとこれまでの生活で心当たりがある所も多いようで、毎回話題は尽きません。テキストの内容についての解説はもちろん、お互いの日常で起こる様々な出来事も話し合うための素材となっています。
こう書くと、まるでこの授業は世間話ばかりに興じる不真面目な集まりなのかと思われるかも知れませんが、それは違います。世間話ばかりしてはいない、という意味ではありません。不真面目ではない、という意味で違うと言っているのです。この「日本文化論を読む」では、真剣に世間話をすることを授業の大きな核だと考えています。そしてそれは、「日本文化論を読む」という行為と深い所で結びついているのです。
現在の受講者の方と授業を開始してから取り上げたテキストは、三つあります。最初は、山本七平の『空気の研究』。次に、『NHK「100分de名著」ブックス 岡倉天心 茶の本』を使いながら、タイトルにもある岡倉天心の『茶の本』の内容を。そして、岡倉とも縁の深い哲学者、九鬼周造の『「いき」の構造』と、どれも古典と呼ぶにふさわしいものばかりを読んできました。しかし、こうした著作を紐解けば紐解くほど、痛感することがあります。それは、優れた「日本文化論」とは、「日本文化とはこういうものだ」といった独断や「日本文化は素晴らしい」といった自文化礼賛、または「日本文化は世界と比べてこんなにも違う」という日本特殊論と似て非なる議論だということです。
もちろん、先ほどあげたどのテキストにも、日本文化をどう規定するのか、他の文化と比べてどこが優れていてどのように異なるかについての記述は出てきます。しかし、それらは全て、ただ日本のことを知るためだけではなく、日本を含めた世界をよりよく知るためであり、さらには日本および世界を構成する一点である自分自身をよく知るためのプロセスなのです。「日本文化論」とは、世界と自己、この二つをより具体的でより鮮明に捉えるための思考の枠組みを提供してくれる、格好の叩き台なのです。
そういうわけで、この授業で取り上げてきたようなテキストを熟読すれば、私たちは半ば必然的に、自身の日常についても反省せざるを得なくなります。先ほど「真剣に世間話をする」と書いたのは、こうした考えが背景にあったのでした。この授業ではこれからも、テキストの逐語的読解と同じぐらい、いや、ひょっとするとそれ以上に、自分たちの生活からにじみ出るリアリティを見つめ直すことを大切にしていこうと思っています。

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