漢文入門担当の陳です。
全国的に災害が続く中、漢文入門講座では台風の合間を縫って秋学期を始めることができました。
秋学期初回の講座では、柳宗元「種樹郭橐駞伝」を読み始めました。
「種樹」は植物を植える人、「郭橐駞」というのは「ラクダの郭さん」というほどの意味で、この伝記でとりあげられている人物のあだ名です。
本来「伝」というジャンルは、歴史書の中の列伝として功名ある人の事蹟を後世に「伝える」ものでしたが、晋の阮籍・陶渊明はそれぞれ「大人先生伝」・「五柳先生伝」の中で、どこの人かも、姓名もわからないという「大人先生」や「五柳先生」という架空の人物の超然とした生き方を描き、そこに自らの理想を投影、社会に対する一つの主張を行いました。
勿論、司馬遷『史記』の列伝も文学作品として高い評価を得ているものではありますが(特に明代の文学理論家たちは多く「最高の文学作品」と称揚し、まるで小説を読むように見所に傍点を打ったものを出版しましたが)、やはり根本的には歴史書であり、純粋な文学作品と言ってしまうとやや問題があるように思います。
陶渊明たちのこのような作品の登場は、丁度中国において文学というものが独立した時期からそう遠くなく、事実を伝えることが第一であった伝から作者の思想を表明するための文学の一ジャンルである伝が独立したともいえるでしょう。
このような文学作品としての伝が魯迅『阿Q正伝』に至るまで脈々と書かれていく流れの中で、特に唐の韓愈・柳宗元は、従来決して伝の主人公とならなかったごく普通の、しかし朝廷の貴族たちが見失っている道理を会得している民衆の姿(その人物が実在したかはともかく)を描いて世の中を正す道具にしようとしました。
「種樹郭橐駞伝」に描かれている「ラクダの郭さん」は、植物を育てるには必要以上に手を加えてはいけない、植物自身がもっている成長する力に任せてあげるんだ、といい、それをきいた柳宗元はそれを為政者のあるべき姿と同じだと考え、この道を政治家に伝えよう、といって文章が終わります。
こういった文章構成は漢代の辞賦から続く中国文学の一つの伝統であり、また、老子の「国を治めるというのは小魚を煮るようなものだ」という言葉を想起させるような道家的思想の影響が儒家思想の建前で生きる知識人の思想の中に散見することも一つの中国思想のパターンです。
少し難しい文字も出てくる文章ですが、一文字ずつ辞書を引いて焦らず納得いくまで読解し、唐代を生きた彼らの考え方に触れてみましょう。
「種樹郭橐駞伝」を読み終えた後は蘇軾の「潮州韓文公廟碑」を読みます。
「種樹郭橐駞伝」とはかなり雰囲気の違う壮大な名文で、「文は八代の衰を起こす」など有名な言葉も多数登場します。これからも無理なく面白いと思えるペースを探りながら、古典の世界を一緒に楽しんでいこうと思います。

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