1108 漢文入門

第九回
昨日は『漢文法要説』第二章第一節「双声・畳韻」第二節「文字の繁省」第三節「仮借」を解説し、『旧唐書』李白伝を読み終えました。

李白伝の訓読は以下の通りです。
「李白字太白、山東の人なり。少きより逸才有り、志氣は宏放、飄然として超世の心有り。父は任城尉と為り、因りて焉に家す。少きより魯中の諸生孔巢父、韓沔、裴政、張叔明、陶沔等と徂徠山に隱れ、酣歌し酒を縱ままにし、時に「竹溪の六逸」と號す。天寶の初、會稽に客遊し、道士の吳筠と剡中に隱る。既にして玄宗は筠に詔して京師に赴かしめ、筠は之を朝に薦め、使を遣はして之を召し、筠と俱に翰林に待詔たり。白既に酒を嗜み、日びに飲徒と酒肆に酔ふ。玄宗曲を度し、樂府の新詞を造らんと欲して、亟ば白を召すに、白已に酒肆に臥せり。召して入らしめ、水を以て面を灑ぎ、即ち筆を秉らしめ、之を頃にして十餘章を成し、帝頗る之を嘉す。嘗て殿上に沉醉し、足を引きて高力士をして靴を脫がしめ、是に由りて斥去せらる。乃ち江湖に浪迹し、終日沉飲す。時に侍御史の崔宗之は金陵に謫官せられ、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜に舟に乘り、采石自り金陵に達し、白は宮の錦袍を衣て、舟中に於いて顧瞻笑傲し、傍に人無きが若し。初め、賀知章白に見え、之を賞して曰く、此れ天上の謫仙の人なり、と。祿山の亂に、玄宗は蜀に幸し、途に在りて永王璘を以て江淮兵馬都督、揚州節度大使と為し、白は宣州に在りて謁見し、遂に辟せられて從事と為る。永王亂を謀り、兵敗れ、白は坐して夜郎に長流せらる。後に赦に遇ひて還るを得、竟に飲酒度を過ぐるを以て、宣城に酔死す。文集二十卷有り、時に行はる。」
安禄山の乱は天寶十四年(755)に始まり、永王璘は玄宗の第十六子、ここに出ているエピソードは『旧唐書』玄宗本紀及び永王璘伝によると天寶十五年(756)のことです。