「好きこそ物の上手なれ」という言葉について

山下 太郎

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がある。これは誤解されやすい言葉の一つである。現代では個性が偏重され、好きなことを伸ばすことがよいことであるという考えが根強い。その結果、「好きでないこと」は「苦手なこと」として、最初から無駄なこととして平気で切り捨てる。このような風潮が学校教育の現場において見受けられる。

「好きでないこと」を強いる「我慢」は個性を損なうと考え、最初から「好きなこと」に絞って取り組めばよいと考える。だが、その結果は単なる勉強のつまみぐいで終わるケースが多い。事実、最初「好き」だったことにもやがて興味が失せ、「好きなものは何もない」と答える若者が年々増えている。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉は真実である。だが、「好きなことだけやっていたら上手になる」という意味では決してない。学校教育において、生徒たちは「好きなこと」だけでなく、「好きでないこと」も含めて忍耐強くやり抜くべきなのである。学校の教科であれ、人間関係であれ、苦手意識を克服して(または経験して)こそ真の自信(または幅広い視野)が身につくからであり、その結果、好きなことも一層好きになり、得意になるからである。「好き」の意識を育てるには、「苦手」意識から逃げない心がけが何より大切なのだ。

富士山も、広い裾野があってこそ、高くかつ安定して見える。普通のビルの構造で、あれだけの高さを実現することは不可能である。言い換えるなら、「好き」とか「得意」というプラスの意識は、「好き嫌い」を問わない経験の「幅」が前提になる。

幼稚園では「なんでも食べる子丈夫な子」と教えている。学校教育においても、教師や親は、最初からある限られた目的を設定することによって、子どもたちの「知的偏食」を助長することがあってはならない。
(2006.11)