そうだ、ラテン語やろう!――今なぜラテン語なのか

山びこ通信2017年度春学期号(2017.06.27発行)より、巻頭文をご紹介します。

そうだ、ラテン語やろう!――今なぜラテン語なのか

山の学校代表 山下太郎

 

 私はこのたび縁あってラテン語の作品(キケローの「スキーピオーの夢」)の注釈書を書きました1 。専門書ではなく、初学者向けの独習書です。「ラテン語講習会 2 の教材を元にしたもので、初級文法を終えた人を念頭に置いた丁寧な解説を心がけています。原文の一字一句すべての単語に文法的説明を施し、文脈に即した訳語と逐語訳を添えました。以下、この本を書いたねらいと、なぜ今ラテン語か?ということについて、思うところを述べます。
 「ラテン語」と聞くと、「難しい」というイメージをもつ人が多いようです。英語が苦手な人にとって、英米人が「苦手」と告白するラテン語は、きっと英語の何倍も難しいのだろうと想像するのは自然なことです。しかし、それぞれの言語をまったくのゼロからスタートした場合、ラテン語の発音は基本的にローマ字読みでよいので、英語よりもとっつきやすいのは事実です。
 一方、英語に比べて文法が複雑で覚えるのが大変、というお声もちょうだいします。たしかに暗記すべき項目は圧倒的に多くありますが、文法そのものは想像以上に規則的です。問題はこの文法との付き合い方です。実際に大学の授業でラテン語を受講したものの、途中で挫折した人は少なくないと思います。挫折しやすいタイプの人は生真面目な人が多いという印象です。週一回の授業ですと、毎回暗記しないといけない事柄がたくさん出てきます。先生によっては、前回の範囲について確認テストをされる場合もあり、その対策に気分が滅入ることもあるでしょう。
 私が「ラテン語講習会」でお伝えしているアドバイスは、「暗記しない」、「覚えない」というものです。その代わり「調べる」ことはしましょう、と。変化表を暗記することはラテン語学習の王道であり、そのメリットを否定するものではありません。ラテン語は語尾が激しく変化しますが、変化表が頭に入っていると瞬時にその形が何かがわかります。一方、それを覚えていない場合、いちいち教科書の該当箇所を調べる必要があるので、時間が余分にかかります。ラテン語の速読速解を目指すなら暗記は不可欠ですが、意味を確かめながらゆっくり読めればよいという場合、無理に暗記をする必要はありません。それで挫折しては元も子もないからです。
 幸い私のクラスの受講生は、趣味でラテン語を学ぼうと考える人たちばかりです。一番大事なことは「楽しく続けること」であり、一番避けたいことは「挫折すること」です。もちろん「楽しく」学ぶにはそれなりの努力が必要で、「ラテン語は調べればわかる」と確信できるだけの経験を重ねることが不可欠です。教室でラテン語を学ぶ人は、挫折さえしなければこの経験を得ることができますし、一方、そのチャンスの得られない多くの場合、解答と解説付きの教科書や練習問題3を使えば、この経験を自宅に居ながらにして積むことが可能です。その結果として、文法の教科書のどこにどのようなことが書いてあるか、およその目途がつくようになれば、ひとまず目的達成です。
 こうして文法という地図の使い方がわかれば、いよいよ旅に出ること、すなわち、原典講読に挑戦することができます。ただし、教科書と辞書を用意すれば、すぐに原文の意味がとれるかといえば、話はそう甘くはありません。やはり、初学者には初学者なりのツールが必要です。そこで、私は考えました。原文に出てくるすべての単語の文法的解説と語彙の説明をほどこした教材があればどうだろう、と。そうしてできたのが今回の本というわけです。単語集も逐語訳も、学習に必要なものは全部用意しました。あとは、解説を読みながら、教科書と辞書を使って知識の確認作業を繰り返すだけです。ヒントを見なくても、原文の意味やニュアンスが頭に浮かぶようになれば、その結果、文法も語彙も、覚えるべきものは自然に覚えるでしょう。
 ラテン語は死語なのになぜ学ぶのか、という問いを受けることがよくあります。たしかに「会話する」相手がいない言語ではあります。しかし、ヨーロッパ文明の魂というべきものがラテン語で書かれた文献に宿っています。原典講読を通じ、キケローをはじめとする古典作家の魂と「対話する」ことは可能であり、私はそのためにもラテン語を学ぶ意義はあると考えています。
 私がラテン語の普及に注力するのには、もう一つ別の理由があります。グローバル時代と言われて久しいのですが、欧米の漢文と呼べるラテン語を学べる場所はいまだに限られていて、初学者が手に取って自習できる学習書はなきに等しい状況です。研究書、論文、翻訳といった専門家の不断の努力の結晶を社会が十二分に生かすためにも、基本を学ぶ層が広く厚く存在してほしいと願います。スポーツしかり、音楽しかり。すそ野を広げることの大事さは、ジャンルを問いません。
 とは言え、ラテン語の学習環境について言えば、現状のままで何も痛痒を感じないという人がほとんどだと思います。この事実が示唆する西洋古典学全般への無理解と無関心は、昨今の人文学軽視の風潮とあいまって、学問と教育の危機を招く遠因につながっていると思われます。民主主義にせよ、学問や教育のシステムにせよ、そのルーツがギリシア・ローマの古典精神に遡ることは自明ですが、我が国は「和魂洋才」のスローガンを墨守するあまり、「洋魂」の根っこを問うことを知りません。その結果、耳当たりのよい「改革」のスローガンが繰り返され、研究と教育の現場は無数の介入によってかき乱されているのが現状です。
 「和魂でじゅうぶん」。社会にそうした偏見が満ちるとき、世の中は閉塞感に包まれます。そこに風穴を開け、自由の空気が通うよう窓を開けたいと願うとき、また、学問について、教育について、真善美について考えるとき、人類の英知の宝庫たる西洋古典に無関心を決め込むわけにはいかないでしょう。その考えの賛同者を募るべく、私は「ラテン語講習会」を開いています。日頃幼児教育に取り組む者として、真理と自由が尊重される社会が子どもたちの未来を明るく照らすことを心から願い、その未来の鍵を握るのがラテン語であると信じるからです。そしてその先に、音楽のクラシックがそうであるように、西洋古典──英語ではクラシックス──への親しみと敬愛が日本社会に根付くことを願います。(山下太郎)
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1 『ラテン語を読む キケロー「スキーピオーの夢」』、ベレ出版、2017。
2 山の学校の出張授業として、東京、名古屋、京都で定期的に開催(各々月一度)。初級文法のクラスのほか、キケローの『スキーピオーの夢』、『アルキアース弁護』、『カティリーナ弾劾』、ウェルギリウスの『アエネーイス』を読む講読クラスがある。
3 拙著『しっかり学ぶ初級ラテン語』(ベレ出版、2013)、『しっかり身につくラテン語トレーニングブック』(ベレ出版、2015)等。