お山の学校には一年生のときからお世話になっています。

小学校入学当初の娘は、世界を概念化するのを苦痛に感じているように思われました。彼女が生きているこの世界や、ここで起こる様々なできごとを、言葉を通して表現したり、数や量、形の概念を当てはめての理解を展開してゆくことに、興味を示しませんでした。親の未熟さから、幼少期に世界との関わりを豊かに、色鮮やかに経験させてあげられなかったことが原因なのだろう、とは分かるのですが、いくら嘆いてもその時代を取り戻すことは、不可能なのでした。

まず、宿題ができませんでした。「何?何?どういう意味?」とパニック状態になり、「分からへん。」という思考停止に陥り、体をくねくねと揺すって奇声を発し、暴れました。親も大変いらいらしており、毎日ひどく怒っていました。(育児書で警告されている、やってはいけないことを、一通り、満遍なく経験しました。)

これでは親も子も共倒れになる、と、「親の意思で」大手の学習塾に入れました。しかし、当初の塾の説明は、「塾の言う通りにすれば、事物を概念にそって捉えることができるようになって、その一連の流れのなかで楽しく学べるようになる」ということだった(ように思う)のですが、実際には、ある程度インテリジェンスがないと、ついていけないようなのでした。

そんな折、お山の学校に行っている子供たちや、保護者の方のお話を聞かせていただく機会に恵まれました。どうやら、お山の学校は、先生方も子供たちも一緒になって、世の中のものごとを真摯に、ひとつひとつ丁寧に、納得のいくまで時間をかけて見ていってくださるらしいのです。ここなら、分からないことにも恐れずに取り組んでみよう、という勇気や意欲を育てなおしてあげられるかもしれません。

そうして、お山に通うようになりました。

お山も、最初は親の意思で通っていたのですが、回を重ねるにつれて、「自分から」山を登っていくようになりました。かいがのクラスでは先生方が、技術的なことの指導にとどまらず、深く豊かにこどもたちに関わってくださることに、とても感激しました。世界のものごとを細かく理解するためには、どのような斬りかたがあるのか?そういった抽象的なこともみんなで考えて、自分たちでそれを発見していくよう導いて下さったり、ものごとの裏側にある目に見えない思いや、絵画の制作過程で生まれてくる感情についても、とても大切にしてくださいます。子供たちも、自分たちを受け止めてくださる先生方の大きさや、お山の豊かさに囲まれ、安心して学びに向かえるのでしょう。毎回、普段の生活では見せることのない、清々しい顔をして、お山を下りてきます。親のほうも、子供のそんな表情を見ることができ、お迎えが楽しいのです。

3年目になり、家での学習態度も変わってきました。年齢を重ねて、思考の段階が発達した、ということもあるのかもしれませんが、それだけでなく、学習に取り組む姿勢自体が変化したように思います。分からないけれど、ちょっと立ち止まって、考えてみよう。そんな意識が生まれ、パニック状態になることも、格段に減りました。

お山の学校では、受験に役立つような勉強というよりは、生きる力を育んでいただいているように思います。親だけでは、できなかったことでした。先生方に、感謝を致しております。ありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いします。(Iさん)