「The Remains of the Day (日の名残り)」 :Kazuo Ishiguroを読み終えて

イギリス人作家Kazuo Ishiguro はイギリスを代表する職業の一つ、執事の職務を採用し、一時代を描く。一人の人が人生の全てを捧げて尊敬する主人に仕え、誰もが到達でき得ない高い評価の職務を全うしようとするが、全盛が過ぎた今、自分と共に変化した時代の中で一人の人としてどうあるべきかを悩む。仕えてきた主人は高い人格と知性を有した人物ではあったが、人生をかけておこなった政治上の振る舞いは戦争という契機にあって裏目に出る結果となってしまった。ストーリーは主人公執事のこれまでの十分な働きを肯定しつつ軽く次のステージとして自分のすべきことへと促す形で話を完結させている。

いま自分が生きる時代を読み解くことはいま生きる人には非常に難しいことは思うに難くない事です。その今を懸命に良かれと思うことに一生をかけて努力する人としての崇高さを軸にそれでいいのかと悩む姿がとてもよく描かれていた作品だと思います。

歴史は一人々々の個人の範囲で見ればその因習的な束縛や生活維持に費やされる労務等々から解放されて自由の領域を広げていく方向にあります。それはすなわち、不条理なものからの解放ともいえると思います。

その自由の活用、またさらなる不条理からの解放はどこを目ざしているのか、世間の階層構造、組織の枠組みが複雑化する片側で次第に不明確になっているように感じます。不条理をどう克服するか、自由はどこまでのものか、それは全人のものになっているのか、知恵を絞ることが人としての在り方なのかと思われます。大脳を有した人がその知性をどう生かすのが正しい道なのか、知性とはいったい何なのか、また歴史は不条理をどのように解決してきたのかまた新たな疑問が出てきました。

英語講読は前回、「自由論」:J.S.ミルをそして今回、「The Remains of the Day (日の名残り)」 :Kazuo Ishiguroという小説上の第三者にて人と社会の在り様を感じとり、更に次回、「Essays in Experimental Logic」: John Deweyにて知性の在り方を考えてみようというという流れで来ています。浅野先生には多大なるご助言、ご指導を賜り、考えることの楽しみを「山の学校」で味わいさせていただいています。

最後になりましたが、このような機会を得させていただいていることにいつも心より感謝いたしております。たいへんありがとうございます。

2015.3.19

山下 和子