「山びこ通信(2014年度冬学期号)」より、下記の記事を転載致します。

山の学校 12周年に寄せて             上尾真道(立命館大学・専門研究員)
まずは山の学校12周年おめでとうございます。わたしは2008年春から2011年の春まで、三年間のあいだ山の学校で小学生の「かず」や「ことば」、高校生の「英語」「物理」「化学」、大人の方のための「フランス語」などのクラスを担当させていただきました。その後、大学での研究職にすすむため、山の学校を離れることになりましたが、当時、さまざまな年代のひとびとと一緒に、「学び」の根っこにあるものは何かと考えながら取り組んだ授業の経験は、大学で講義を行なうようになったこんにちにも活きています。

ところで大学といえば近頃はどこも改革の話題で持ちきりで、日本の高等教育もグローバルスタンダードに適応せねばと、鼻息の荒いかけ声がほうぼうで聞かれます。いっぽう、学生たちも決して安穏としておらず、自分の将来、社会の行く末について心配し、なんとか最善の行動を選べるようにと、さまざま知識や情報を集めておくのに必死の様子です。「知識」ということでいえば、インターネットの検索サイトを使えばすぐさまある程度の調べがつく現代、わたしたちはある意味、いつの時代にもまして賢くなったのかもしれません。ですが、こんな環境にあってわたしはときどき、自分がなんだか、めまぐるしいほどの速さで行き交う知識の渦を眺めて、右往左往しているだけに過ぎないような気もします。知ること、学ぶことはこんなにも忙(せわ)しないものだったろうかと、ふと思うときがあるのです。

山の学校でのクラスのことを振り返るとき、わたしが思い出すのは、こうした慌しさとは正反対の何かです。たとえば瓜生山の草木のあいだを渡る風の音のこと。あるいは夕日が穏やかに赤く染める教室のこと。静けさに包まれているのだけれど、内側からはふつふつと熱気が溢れてくるような空間。そこでは知は、どこにも逃げ出さず、わたしたちをじっと辛抱強く待っていてくれたように思いますし、深く夢中になることを許してくれたように思います。

わたしの人生のなかにこんな温かい学びの思い出があることがなにより嬉しく、山の学校に関わることができたことにほんとうに感謝しています。12年というひとつの節目を超え、これからもいっそうかけがえのない学びの場となられることを祈念いたしております。