「子どもは大人の父である」考 ―山の学校の目指すもの

『山びこ通信』2014年度春学期号を発行致しました。巻頭文をご紹介いたします。

「子どもは大人の父である」考
     ――山の学校の目指すもの    

英国の詩人ワーズワースに『虹』と題する詩がある。

私の心は躍る、
空に虹を見るときに。
子どもの頃もそうだった。
大人になった今もそうだ。
年老いてもそうありたい、
さもなくば死に至らしめよ。
子どもは大人の父である。
願わくばわが人生の一日一日が
自然を敬う気持ちで結ばれんことを。

7行目の「子どもは大人の父である」という言葉は、どこかで目にしたという人も多いのではないだろうか。だが、ここで言われる「子ども」と「大人」の関係について深く考えれば切りがなく、また、人によって受け止め方は様々だと思われる。

司馬遼太郎はこの言葉に言及した上で次のように述べている。「私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私の中のオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。もっとも心にコドモがいなくなっているオトナがいますが、それは話にも値しない人間のヒモノですね」と。(『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』、神山育子著、朝日出版社)。

教育に携わる人間にとって、このメッセージの持つ意味は重い。幼児教育はコドモを守ることを使命とするが、人は一人で生きられない以上、子どもの中のオトナの萌芽を大切に育てる努力も欠くことはできない。ここで言う「コドモ」とは感受性や好奇心、「オトナ」は理性や社会性といったものを指すだろう。しかし、教育の現場において、このバランスを図ることは頭で考えるほど簡単ではない。

私は日頃幼稚園児を引率しながら山道を歩くが、子どもたちはタケノコがぐんぐん伸びる様子やアリが行列を作っている様子に興味津々である。先日は晴天にもかかわらず太陽のそばに虹を見つけた子がいて、みなで時を忘れて見つめた。だが、子どもたちの好奇心につきあっていると、いつになっても目的地につかない。ほどよいタイミングを見計らって子どもたちの関心を再び歩くことに向けさせねばならない。幼児教育の現場は、この手の葛藤に満ちている。幼児教育に限らない。学校教育の現場もそうであろうし、逆説に聞こえるかもしれないが、先生方にはこの葛藤を大切にして頂きたいと願う。

というのも、学校が子どもたちに知識や正解を教える所であると肩に力を入れるほど、やがて先生の心から葛藤は消え、コドモを守ることは困難になるだろうから。例えば知識の多寡を数字の評価に置き換えた勉強は、効率を優先するあまり、好奇心や感受性を二の次、三の次にしてしまう。そのような学校は時刻表通りにバスは運行されるが、先生と生徒が同じ虹を見て感動を分かち合う場面はなくなるだろう。ちょうど路線バスの運転手が虹を目にしてバスを停めることはないように。

私の中学時代を振り返ると、国語の時間が極端に退屈であったことを思い出す。理由は、先生が正解を黒板に書き、それをノートに写すように求められたからだ。文中の「それ」が何を指すかと問われ、その答えを丁寧に板書される。最前列で腕を組んで見ていたら「ちゃんと写せ」と叱られた。該当箇所は教科書に自分で印をつけたと答えても「写せ」と言われた(ついでながら、試験で池の「まわり」を「周り」と書いて×だった。教科書に「回り」と書いてあるから)。中学に入ったばかりの思い出である。

ただ、このクラスが例外であったわけではなく、中高6年間の授業の暗黙の了解は、科目を問わず、いつも「黒板を写せ」、「ここを試験に出す」の一点張りであったと言うことはできる(この言い方は少し言い過ぎかもしれない。「葛藤」をお持ちの先生も少なからずおられたと記憶する。数学の先生で「わからない問題は一日中考えたっていい」と言われた方もいらした)。

いずれにせよ、私の中のコドモは家庭教師の先生に救われた。当時京大理学部の院生であった上田哲行先生である。父は最初の面談で「受験勉強は教えないで結構です」と切り出したのを昨日のことのように思い出す。では毎回何をしたかと言うと、一冊の本を音読し中身について語り合う、という(一見)ありきたりなことであった。だが、実際にはこれがどれだけ貴重な経験であったことか。40年経った今も感謝の気持ちで心が満たされる。

先生は一冊の本を最初から最後まで丁寧に読むことの大切さを身をもって教えて下さった。『森のひびき―わたしと小鳥との対話 』(中村登流)から始まり、『ソロモンの指輪』(コンラート・ローレンツ)や『チョウはなぜ飛ぶか』(日高敏隆)といった啓蒙書の数々、また、『科学的人間の形成』(八杉龍一)など、中学生にはやや難解に思える図書も先生はあえて選ばれた。内容に関する作文は毎回宿題として課され、翌週懇切丁寧な添削を受けたことも忘れがたい思い出だ。

ただ、先生にも葛藤があったのかもしれない(あるいは受験を意識し始めた私への配慮だったのかも知れない)。高校時代に入ると数学や現代国語の入試問題を解くスタイルに変わっていった。しかし、ここが大事なポイントであるが、先生は私と同じ問題をご自分でも解かれ、同時に、私が納得のゆくまで考える姿をいつも横で見守り、適切なアドバイスを下さった(考える主体はいつも私)。

と、ここまで書きながら思い当たることがある。11年前、無我夢中で始めた山の学校であったが、そのコンセプトの源流は、今述べたような私の個人的体験に遡るのではなかったか、と。事実、私の目には、山の学校の先生の姿と上田先生の姿が重なって見えるのである。黒板を使った一斉指導ではなく、一人一人のニーズに寄り添い、じっくりと考える時間を何より大切する。そんな雰囲気については、本誌のクラスだよりでご確認頂きたい。

教える者も学ぶ者も、本来誰もが自分の、そして、他人のコドモを守るオトナでありたいと願う。だが、司馬氏が警告したように、この前提は当たり前ではない。山の学校の取り組みは、子どもたちの、また、自分自身の中のコドモを守ることをよしとする保護者や会員のお陰で成り立つのである。この事実を深く心で受け止め、また一歩一歩進んでいきたいと思う。

山の学校代表 山下太郎