福西亮馬

中学3年生の頃に、「ビー動詞はあるのに、エー動詞はいつ出てくるんですか?(授業でもうしてしまったんですか?)」と、真顔で先生に質問したほど、私は箸にも棒にもかからない英語音痴でした。そんな私が、“Thrasymachus”という、英語で書かれた教科書で、古典ギリシャ語を習うことには、自信がありませんでした。

しかし広川先生の手ほどきを受けるとすぐに、選定された教科書がとてもよいものであることに気づきました。

去年、その本での文法を一通り終え、今は『マルコによる福音書』を読んでいます。原文を読む楽しみは、これでもかこれでもかというほどに新鮮です。キリスト教徒でない私でも、二千年来読み継がれてきた書物から伝わる人々の体温や肉声を感じ取れることは、知的好奇心をくすぐられる以上の喜びだと言わざるを得ません。

学び始めの人の気持ちを思い出せることは貴重な経験です。私も山の学校でことばやかずのクラスを受け持っていますが、教える立場でも学び続けることができて、嬉しいです。そのおかげで、教えることに対しても、以前よりも肩肘を張らずにすむようになりました。

さて、私がギリシャ語を学びたいと思ったきっかけは、大きく分けて四つあります。

一つ目は、広川先生に教わることが千載一遇のチャンスだと感じたからでした。以前受講生のMさんが、「広川先生には、理路整然と理解まで導いてもらえる」と仰っていて、今もってその通りだと実感しています。

予習は、正直大変でした。幼児が言葉を覚える時と同じく、どの単語も調べなくてはならないので、私の場合は、週5時間かかりました。穴を開ける日もありました。それでも授業が終わると、新しく教わったことを反芻し、夜空を見上げ、高揚して家路につきました。そんなとき、広川先生から学べる幸運を感じずにはいられませんでした。

二つ目は、ラテン語からの必然でした。私は大学3回生の頃、山下先生の同志社と京大の授業に潜り込んでいました。その頃、このたび山の学校を退かれる前川先生(当時同志社の博士課程)が、「何か読みましょう」と提案され、山下先生の研究室で『アエネーイス』の読書会が始まっていました。それを耳にし、「私も参加したいです」と手を挙げました。最初は辞書も持たずに日本語だけで参加していたことは、今となっては恥ずかしくもあり、懐かしい思い出です。(その時、山下先生と前川先生の両方から辞書をいただきました)。

その後のことです。山下先生の口から語られる、故岡道男先生の次の言葉に背中を押されました。「ラティニストは二倍ギリシャ語を読むように。ヘレニストは二倍ラテン語を読むように」と。岡先生が指し示されたその先にある「健全なるもの」は、山下先生を通して見えるような気がしていました。それで、ラテン語を一としたら、せめて十分の一ぐらいは「ギリシャ語も」と思い立った次第です。

三つ目は、数年前に書き始めたブログを通してのご縁でした。「幾何を学ばざる者はこの門を入るべからず」という、プラトンのアカデメイアの門に掲げられたモットーについて調べていた時、ophthalmosさん(ギリシャ語で「目」の意)という方が親切に教えて下さいました。また、Q.E.D.のもとのギリシャ語について調べていた時も、O.E.Δ.=ὅπερ ἔδει δεῖξαι(ホペル・エデイ・デイクサイ「これぞ示すべきことであった」)だと助けて下さいました。

そのあとで、ophthalmosさんが物理数学の先生だと知りました。そして語学も古典も(ガウスのように)こよなく愛しておられることを知って驚きました。それが三つ目の理由でした。

四つ目の後押しは、今一緒に受講しているAさんの存在でした。Aさんは中学3年生(現在高校1年生)で、山の学校でギリシャ語を学びたいと言って、門戸を叩いてこられました(それがきっかけで作られたクラスに、後から私が飛び込んだ格好となります)。中学生がギリシャ語を学ぶということは、まったく山の学校始まって以来のことでした。もしかしたら、日本でも数少ないことかもしれません。「すごい!」という念から「私もお供させてください!」と思い立った次第です。

もしAさんのような向学心あふれる方が横にいなければ、私はきっと仕事の忙しさを口実に、ギリシャ語の勉強を挫折してしまっていたことでしょう。予習が追い付かない日は、Aさんが私の担当も引き受けるという光景もありました。そんな時、Aさんの解答を隣で拝聴し、ノートに書き写しながら、「大したもんだなあ」「負けてはいられないぞ」と励まされたのでした。

以上のことが重なって、ギリシャ語を少しずつ味わっています。学びたいと思い立ったときに学べる環境があることは、本当に有難いことだと思います。この場を借りて厚くお礼申し上げます。