1 ギリシア語講読
 冬学期よりツキュディデスを読んでもらふことになりました。
 三十数年も昔の話になりますが、数日間入院した機会にツキュディデスを岩波文庫の久保正彰訳で読んで、これはすごいものだと思ひました。すごいといふのは二面あつて、一つはここに描かれたもの、言換へればギリシア人のやつてゐたことがすごいといふのと、もう一つはツキュディデスの叙述がすごい、といふことです。当時はまだソ連が健在で、米ソの対立を二千数百年も前のギリシア世界になぞらへて色々考ヘたものです。以来、勿論日本語訳でですが、久保訳、小西晴雄訳、最近の藤縄・城江訳と、何度も繰返して読んできました。田中美知太郎の「ツキュディデスの場合」も繰返し読みました。
 といふことで、7年前に会社づとめをやめて、ギリシア語の勉強を始めたときの目標の一つはツキュディデスにあつたのですが、とにかく難しいといふことを聞かされてゐましたので、もう少し上達してからと、今迄ずつと繰延べにしてきました。しかし考へてみると、この年になつてギリシア語の読解力がこれ以上向上することはとても期待出来ない、下手をすると原語で読まないままで終るのではないか、と気がついて、このたび広川先生にお願ひして読んでもらふことになりました。
 やつと念願がかなふ、という思ひで、どこ迄読めるか分りませんが、行けるところまでは行きたいと思つてをります。(I.R.さん)

2 漢文入門
 9月から始めたばかりなので、余り偉さうなことは言へませんが。
 漢文は高校生の時に習つて好きな学科の一つではあつたのですが、今から考へると余りきちんとした形では教はつてこなかつたといふ感じです。今回改めてやり直してみてそのことを強く感じました。今習つてゐるやうな教え方で学んでゐたなら、もつと読む力が付いてゐただらうと思ひます。私どもが習つたやりかたは、古文でもさうですが、「有名文」を読むことに主眼が置かれてゐて、その前にあるべき基礎的な語法や構文の「訓練」がなほざりになつてゐたやうに思はれます。その点、今回の教科書は要点がコンパクトにまとめられてゐて、全体の見通しもつけやすく、なかなか良いと思ひました。
 それと、訓読といふのは、漢文を外国語として考へると邪道なのでせうが、過去の日本人が読んできたその読み方を大事にし、それを追体験し、併せて国語への影響と比較について考へたいと思つてをります。(I.R.さん)

(記2011.11月)