本当の勉強──Age quod agis.

山びこ通信巻頭文(2011.06)

本当の勉強──Age quod agis.

好きなことをとことんやる。そこから何か別の道が開けてくる。好きなこととの出会い、自分の生きる道との遭遇。日本語ではこういったこともすべて含めて「ご縁」と呼ぶ。表題のラテン語は、「できることをせよ」というのが直訳だが、授かった「ご縁」を大事にして目の前のことに全力を尽くせ、という意味で解釈したい。

今回の大震災で漁船を失った漁師は数知れない。その一人が日々の心情をブログに綴っていた。漁師をやめようかと何度も思った。そんな彼に希望の光が差した。ブログを見た他府県の漁師から中古船の譲渡を提案するメールが届いたのだ。TVの取材の中で、彼はこうつぶやいていた。「これからも目の前のことを一つ一つやるだけです」と。この言葉は、表題の言葉の意味を余す所なく伝えている。

「できることをする」。ただそれだけのことのようだが、「できる」と言えるためには無数の条件が満たされねばならない。このことを、今回の天災を通してあらためて教えられた気がする。「できる」の意味を考えれば、自分は何に全力を尽くすべきか、心の深いところで自問自答が繰り返される。答えは容易に出ない。であれば、自分が「これは」と思えるもの、「好きなこと」を手がかりにして、そこから進んでいけばよいのではないか。

本来、誰の中にも本物の輝きがある。だが、磨かなければ表に出ない。自分にもそれが何か見えないままである。大人になるにつれ、努力を忌避し失敗を恐れる心が育つ。一方、「できる」ことへの感謝を忘れず「好きなこと」に磨きをかける限り、その取り組みは必ず人々の絆の中で生かされる。ひいては社会に、そして自分に輝きを与えるものとなる。モノの損失だけがもったいないのではない。各自が自分の意志で自分を練磨することなく、絶えず他からの働きかけで動かされるだけなら、それはモノ以上に大きな社会的損失である。

「ご縁」という言葉は「有り難い」という日本語とつながっている。実際、無数の条件の上に自分の「学び」は成り立っているが、日頃はそれに気づかない。日本には水や空気のように学びの機会が横溢しているのだから。日本語で「勉強ができる」と言えば、普通は「学校の成績がよいこと」を意味する。社会人に関して「仕事ができる人」といったフレーズもよく聞かれる。しかし、これらの表現を英語に直訳しても、日本語の意味をそのまま伝えることはできない。映画の字幕に I can study! I can work! という台詞があれば、己の幸運に感謝する人間の姿を想像する。

とかく「成績」で評価される日常が目の前にある。多くの人が他人と比べられ、尻を叩かれている。うまくいかないことが続けば、きっと何かのせいにしたくなる。だが、震災ですべてを失った人々のことを思えば、みんな言い訳に過ぎないことに気づく。運が悪いのではなく、本当は運にとても恵まれているのだ。ただチャンスを生かしきれていないだけなのだ。こう気づくとき、猛然と本当の勉強が始まるのではないだろうか。狭い世界の中で他者と競わされる道でなく、世のため人のために己の命を生かす本当の勉強が。

山の学校代表 山下太郎