『高校数学3』クラス便り(2022.02)

山びこ通信2021年度号(2022年2月発行)より下記の記事を転載致します。

『高校数学3』

担当 入角晃太郎

 この講座は、私が受け持つ講座のなかではもっとも古く、いまの生徒さんたちが高校一年生の頃に開講しました。彼らが私の山の学校での初めての生徒さんたちです。発足時は、学校では習わない数学の話を紹介するのがメインの授業をしていましたが、やがて、生徒さんたちが問題を解き、適宜私が解説を入れるという現在のスタイルに落ち着きました。彼らには試行錯誤に付き合わせたことになってしまいましたが、それでも一緒に勉強してくれたことに感謝しています。

今の生徒さんたちも、もうすぐ高校を卒業してそれぞれの道に進むのだなあと思うと、時の流れを実感します。さて、世の中のたいていの人が数学の勉強をするのは、高校まで、あるいはせいぜい、大学教養課程までで、大人になっても数学と接している人はごくまれです。かく言う私も、理学部を卒業したのちに哲学に転じたので、ふだん数学的対象を扱うことはほとんどありません。それでも私は、数学は中高時代の貴重な時間を割いて勉強するだけの価値があると思います。

世の中には情報が溢れていますが、ある情報が信頼できるものかどうかを、当の情報自身は教えてくれません。それは、「この本に書いてあることは正しい」という本は、そう書かれているというだけの理由では信用することはできないことを考えてみれば明らかです。現実世界の「情報」を教えてくれる歴史や理科の教科書とは異なり、確かに数学の教科書の「情報」は役に立ちにくいでしょう。しかし、数学の教科書を「情報源」として読むこと自体が既に間違っています。数学の教科書を理解しようとするときには、私たちは「情報源」としてテキストを見るのではなく、そこに記された理路を自分の中で再構築するように読む必要があるのです。そして、数学を学ぶ意義は、実はこうしたテキストに対する態度の涵養にあるのであって、「チェバの定理」だとか「余弦定理」だとかを「情報」として摂取するためではないのだ、というのが私の考えです。数学の勉強においては、教科書の中身自体に情報としての価値があるのではなく、それを読もうとする過程で身につく、テキストに対する態度にこそ価値があるのだと思います。

数学を勉強する中高生の皆さんには、教科書に書いてあることを「真に受ける」のではなく、自分の頭で考える力を養ってほしいと思います。