西洋古典を読む(2021/12/8、12/15)(その2)

福西です。

(その1)の続きです。

叙事詩におけるカタログという手法は、下手をすると「これって誰?」となったり、マニアックな読者以外、眠気を催す恐れがあります。そうならないよう、詩人は逸話や装備品を語り、バラエティを駆使して盛り上げています。

そして一見、王たちのカタログは華々しくありますが、第6巻で見たローマ人のカタログ同様、悲哀に満ちています。

というのは、これらの何割かは、このあと戦死する運命にあるからです。

メーゼンティウスとラウススは10巻で、カミッラは11巻で、トゥルヌスは12巻で。

ということは、7巻のここは、ある意味、追悼スピーチ、葬送行進曲と言えなくもありません。

とくにカミッラの描写は、印象的です。

7.813-17(岡・高橋訳)

大勢の母親らが驚いて眺める。進み行く姿を見送るとき、

口は開いたまま、驚きに心を打たれる。ほら、王侯の誉れ高く

真紅の衣が滑らかな両肩を被っている、ほら、髪が黄金の

留め具で結い上げられている、ほら、携えるはリュキアの矢筒、

鋼の穂先をつけたミルテの牧杖だ、と。

これは一読目では、カミッラの登場シーンですが、再読目では、鎮魂歌にも聞こえます。

7巻冒頭で「さあ、いまこそ、エラトよ(…)戦列を、闘志の促すまま死へと駆り立てられた王たちを語ろう」

とあったのを思い出します。