『モモ』を読む(西洋の児童文学を読むB、2021/6/11)(その1)

福西です。

『モモ』(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)を読了しました。

受講生のみなさま、おめでとうございます。

「作者のみじかいあとがき」を読んだとき、客車に居合わせた「見知らぬ旅人」は、「ホラかもしれない」という意見が出されました。

なるほど、気付きませんでした。

だとすると、作者はホラから話を聞いて、それを書いたことになりますね。

ホラは「時間を配る時、いつも言っているのだがね」と、人間に「時は命なり」をメッセージとして送っています。

『モモ』の中では、ホラのメッセージは「星の光」「星の音楽」に象徴され、それが聞こえるのは「聞く力」を持つモモだけでした。

しかし読了後、作者エンデ、『モモ』の読者もまた、ホラの声が聞こえる存在、ということになります。

そのように、「読者を通じた希望の広がり」という構造は、『はてしない物語』でも見られました。

「現実しか知らない人」から「現実とファンタージエンとを行き来できる人」を増やす物語でした。

それに対し、『モモ』は、「多忙な人」から「暇な人」が増える物語、と言えるでしょうか。

 

残りの時間は、一人ずつ感想を述べてもらいました。

そのあと、21章の「新しいはじまり」の「新しい生活」とは、モモの冒頭の生活とどう違っているのか、意見を出し合いました。

Oguraさん

この話の続きは、最初のころと、何が変わると思いますか?

・物語の最後では、「モモがホラのところで見ききした話」をモモから聞いて、信じた人たちが存在する。それが最初と違う。

・その人たち(かつて子供であった大人たち)が子供たちにその話を伝えていけば、円の半径は維持、または拡大していくだろう。

・油断して忘れてしまえば、時代とともに灰色の男たちの危険は再び生じるだろう。なぜなら灰色の男たちを生み出したのは、人間たちなのだから。

・それが短いあとがきで「未来の話として話してもよい」ことにつながる。

また、読み返したとき(2周目以降)、新しい発見がありますように!

改めて『モモ』読了おめでとうございます。