『モモ』を読む(西洋の児童文学を読むB、2021/4/23)(その1)

福西です。

『モモ』(エンデ、大島かおり訳、岩波書店)、16章「ゆたかさの中の苦しみ」について要約を発表してもらい、気付いたことを共有しました。

「ゆたかさの中の苦しみとは、だれの苦しみ?」という質問では、次の二通りの解釈があることを確認しました。

1)多忙で画一的な生活をする人々(大人も子供も)

2)ホラのところから帰ってきて、孤立したモモ

とくに2)について、テキストには次のようにあります。

モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも彼女は息ができなくなりそうなのです。(…)それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。

ホラのところで悟った「豊かな時間」を、モモは共有したくてもできない、それがモモにとっての「ゆたかさの中の苦しみ」です。

書き直すと、次の通りです。

1)人々には、周囲が豊か(便利)になった。けれども内面が貧しくなった。(時間がやせほそった

2)モモには、内面の時間が豊かになった。けれども周囲(共有者)がいなくなった。(時間にうずもれた

「時間の共有」は『モモ』のテーマの一つです。一方、灰色の男たちの価値観は「時間を共有しない(節約する)こと」です。

人と共有する時間(モモ的)
例:音楽、他人の話(悩み)を聞くこと

人と共有しなくなった時間(灰色の男たち的)
例:フージー氏が節約した恋人との時間、老母との時間、客との時間など

モモは、心の中で増大する「時間の花」のイメージによって、孤独を覚えます。

p281 モモはベッドにもぐりこみました。ばじめて、ほんとうにひとりぼっちになってしまいました。
p284 孤独というものには、いろいろあります(…)モモの味わっている孤独は(…)はげしさをもってのしかかってくる孤独
p284 いまでは、ジジの提案どおりにしようという気持ちになっていました。
p285 もう時間はいらないから送ってくるのをやめてほしいとたのむか、あるいは〈どこでもない家〉の彼のもとに永久にいさせてほしい
p268 どんな遊びだろうとかまいはしない、とにかくなかまに入れてもらえるよう、

「孤独というものには、いろいろ」とあります。時間の花を見た時のような孤独であれば、自身を深めます。しかし、いまのそれは、自身からも逃げたくなるような孤独、すなわち「孤立」です。

このあと、モモは、灰色の男たちとの約束の会合から逃げ出します。

(その2)に続きます。

 

【参考】

過去の別のクラスで『モモ』を読んだ時の記事です。

・ことば6年

(プラトンの「洞窟の比喩」を紹介しました)