『クローディアの秘密』を読む(西洋の児童文学を読むA・C)2021/4/15

福西です。今学期からよろしくお願いします。

『クローディアの秘密』(カニグズバーグ、松永ふみ子訳、岩波少年文庫)を読んでいます。

第1章「秘密の糸口」を読みました。章のあらすじは、以前の記事をご覧ください。

以下は、気になった表現です。

クローディアは、町が大すきでした。町は優美で、重要で、その上いそがしいところだからです。かくれるには世界でいちばんいいところです。

「あれ?」と思われるかもしれません。「町がいいなんて」(まるで児童文学の主人公らしくないのでは?)と。

実際に、次の章ではジェイミーが「森の中」や「セントラルパーク」(での野宿)がいいのに、と希望しています。けれどもクローディアが選んだのは、都会も都会、超都会のマンハッタン。

町はクローディアの几帳面な性格そのものです。

そして、クローディアは「きちょうめんなただの優等生(オール5)でいることがいやになった」、だから家出するわけです。

しかし、几帳面のよさそのものを捨てていくわけではありません。

家出の間じゅう、クローディアはずっとクローディアです。

維持し続けるのが嫌になったのは、「オール5のクローディア」の方です。それは他人に評価される「うわべの私」です。

「私」は「うわべの私」を維持することが嫌になった。けれども、「私」は「私」であることを嫌になったわけではない、ということです。

「自分は自分でいたい」。それには「いいこちゃん」を卒業して、他人の評価によらない「自分らしさ」を持ちたい。それには「秘密」を持つのが一番だ。秘密を持つことで、他人からいろいろ悪く思われるだろう。でも気にしない。「気にしない」ということは、評価から自立していることの証だ。

と、こういうわけです。

現状は、うわべの自分>中身の自分。

理想は、うわべの自分<中身の自分。

この不等号の逆転は、一人では難しい。

そこで、クローディアのことを補い、いい味を出してくれるのが、弟のジェイミーです。ジェイミーは家出仲間になる条件に、こう言います。

「計画は複雑にしろよ。ぼくはごたごたがすきなんだ」

と。これはすぐにクローディアによって却下されますが、「ごちゃごちゃ」はこの物語にとって大事な要素です。

大雑把に言えば、クローディアは「秩序」寄り、ジェイミーは「カオス」寄りです。

マンハッタンはクローディアの身を隠します。そしてクローディアの「秘密」を隠してくれる場所は、ほかならぬ、彼女の心の中です。

それがまるで都会のようにごちゃごちゃしていれば、なおさら隠しやすい、というわけです。