ラテン語中級講読(クラスだより2010.2)

山びこ通信(2010.2)に掲載された講師からのメッセージです。

この授業ではウェルギリウスの『農耕詩』を読んでいます。山下先生からこの授業を引き継いで、もうすぐ二年が経ちます。毎週20行程度の牛の歩みですが、継続は力なり。3巻の中程まで進みました。

音読に関してはあまり問題がなくなってきたので、最近はレトリックの検討が中心になっています。ウェルギリウスはルーカーヌスのようにレトリックを濫用したりはしませんが、それでもレトリックの知識がないと何を言っているのかさっぱり分からない箇所がかなりあります。そのような箇所を解きほぐしてメカニズムを解明することに力を注いでいます。

授業で扱うレトリックは伝統的なfigura に属すものばかりです。このfigura はたいてい「文彩」と訳されます。文の彩り、つまり彩りを取り除くことができるものとして文が理解されているわけです。でも、本当にそうでしょうか。彩りであると見えていたものを除けてみたら、何も残らないかもしれません。「思想は文体である」という言葉もあります。figura を瑣末事として扱うのではなく、むしろ「型」と理解して、武道や芸能の型に通じる根本的なものと見るほうが適切ではなかろうかと思います。

このようなことを考えながら、牛の歩みは続きます。引き続き『農耕詩』を読み、その後は『アイネーイス』に進む予定です。

(広川直幸)