『イタリア語講読』クラス便り(2018年2月)

「山びこ通信」2017年度冬学期号より下記の記事を転載致します。

『イタリア語講読』

担当 柱本 元彦

 いわば初級文法仕上げのコースとして<講読I>のクラスを設けていましたが、受講生の二名が非常に優秀なため、両名とも短期間で進級することになり<講読II>に合流。この冬学期からは再びIもIIもない講読クラスに戻りました。テクストは、前期に<講読II>で読みはじめていたカルロ・レーヴィの《Le parole sono pietre(言葉は石である)》です。本書はシチリアがテーマですから、レーヴィは、ほんとうは伝えたかったカラブリアでの経験を省いてしまいました。けれども、省かざるをえなかったと言いながら、イントロダクション(長大な!)のなかにそれを書き込んでいます。講読IIは、ぎゅっと圧縮されているのか伸び伸びしているのか、山あり谷ありの文体の少し難しいこの序文を終えたところでした。そういうわけでイントロダクションは本文とはあまり関係がなく、今期はそのまま第一部の最初から三名で読みはじめました。1951年、シチリアの寒村に生まれたニューヨーク市長が、故郷を表敬訪問します。ムッソリーニがイタリア中に書き散らした標語のひとつが崩れかけた壁にまだ読める村に、アメリカ天国から、アメリカ移民となった彼らの一人が、彼らの一人だけれども眩いばかりに神々しい人物が帰ってくるのです。ユーモアの文章は中級講読で乗り越えなくてはならないテーマでしょう。しかもレーヴィのこの<物語>は実話ですから、シチリアの土地とその人々、その時代について知ることができるのも興味深いところです。