『イタリア語講読 I・Ⅱ 』クラス便り(2017年11月)

「山びこ通信」2017年度秋学期号より下記の記事を転載致します。

『イタリア語講読 I・Ⅱ 』

担当 柱本 元彦

 <講読I>では、ときおり文法プリントを挟みながら、引きつづきアントニオ・タブッキの『夢の夢』を読んでいましたが、もうあと何篇かを残すばかりです。いわば中級文法にあたる接続法や条件法の使い方など、充分に慣れていただいたのではないかと思います。そろそろ次を決定しなくてはならないのですが、受講生お二人の実力からして<講読II>への合流を考えており、調整中です。その<講読II>ではモーツァルト・オペラ論を続けていましたが、『後宮からの逃走』を最後に一段落つけることにしました。<成熟した>モーツァルトのオペラは七つあります。最初の「イドメネオ」と最後の「ティトゥス」は古風なオペラ・セリア、二番目「逃走」と最後から二番目の「魔笛」はドイツ語ジングシュピール、真ん中の三・四・五番目がダ・ポンテ脚本の傑作、「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ」です。これも些細なシンメトリーにすぎませんが、つらつら思うに、夭折とはいえ道半ばにたおれたようには見えませんね(未完の「レクイエム」は残念だけれども)。それはさておき、新たに読みはじめたのはカルロ・レーヴィです。小説『キリストはエボリに止まりぬ』が有名で、日本では映画で知られていますが、日本語タイトルが『エボリ』なのは問題です。エボリは南イタリアの小さな町の名ですが、舞台はエボリの向こうのもっと寂しい寒村のアリアーノです。つまり原題は<キリストはエボリまでやって来たがここには来なかった>という意味なので、エボリはどこにも出てきません。ともかくそのカルロ・レーヴィが、『キリストはエボリに止まりぬ』の十年後に、シチリアを取材した記録を出しました。それが読みはじめた『Le parole sono pietre』です。さすが1956年ヴィアレッジョ賞受賞作、今なお感じることのできるシチリア的問題が目に見えるように描かれています。