山下です。

キケローを読んでいます。

昨日は、29節の途中から30節の最後まで読みました。まだまだ先は長いですが、今回読んだ箇所はこの作品のサビの部分だと思います。

auxit benevolentiam consuetudo. (交わりが好意を増やす)という短い文があるのですが、この表現がラエリルスの意見を要約しています。

友情が人間の弱さ(他人を当てにする弱さ)に起因するという立場にとって、人に親切にするのは(すなわち benevolentia は)、自分に何か有利な計らいを期待してのことであると考えます。

この立場にとっては、auxit benevolentia consuetudinem となります。

ラエリウスは、その逆だと言うのです。

人間の強さ、すなわち virtus や sapientia によって自らを強く支えることのできる人は、自分の中に自分に必要なものすべてが備わっている(つまり他人を当てにしない)、自分自身スキーピオーを必要としたか?スキーピオーは自分を頼りにしたか?どちらもノーである、と。

だが、互いに互いの virtus, sapientia を敬愛し、親交を深めたのだと。

人間として自立した者同士の間に友情は成立するという考えを示しています。

この親交(consuetudo)が結果として benvolentia (相互に有利な計らい)をもたらすことはあったが、それを目的として親交を重ねたわけではない。

凡夫は、見返りを期待し心のこもらない benevolentia を重ねます。その結果、同じく心のこもらない consuetudo (人付き合い)ばかりが増大していくのです。

虚礼を嫌った孔子の好きそうな議論ではあります。

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