『西洋古典を読む』(対象:中学・高校生)

2017年4月から始まるクラスのご紹介です。

『西洋古典を読む』(対象:中学・高校生)

水曜18:40~20:00 講師:福西亮馬(予定)

私が小学生の「ことば」クラスで普段心がけていることは、想像上でのタイムスリップをすることです。過去にどんなことが栄養になっていたか、どんなふうに指導者に接して欲しかったか、どんな応答を学友と果たしたかったか。そしてどんな本と出会いたかったか。私は今その問いかけを仮に自分が中学生に戻ったとして発してみます。そしてその問いの先に、本棚にあるいくつかの古典作品を見つけます。その中には「もしこの先これを読まずに死んでしまったら、きっと死んでも死にきれない(なかった)だろう」という本があることに、今また現実の時間に立ち戻って、気付きます。

世の中には、「古典のことはよく分からない。読むのも訳するのも時間がかかる」と言う人と、「だからいい。なぜなら自分で立ち止まって考える時間が増えるから」と言葉を接ぐ人と、両方います。どちらも真実を言っており、前者は定説的で、後者は逆説的です。ビジネス書と違って、古典の文章はそれに注力した時間が長ければ長いほど、その人にとって、輝かしい価値を持ちます。打てば響くというわけです。そしていつしかその人の精神における不動の地位を得ます。クラシック(第一席)と呼ばれるゆえんです。

西洋古典の最初のテキストは、セネカの『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)を読みます。「曰く、人生は短い」という定説で始まり、次いで、「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、もっとも偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」という逆説で文章が展開します。このような論理は、おそらく十代の若者の心を掴んで離さないでしょう。若いうちにこそ、学ぶ姿勢をはっとただされる、そんな名文だと思います。もとより古来より愛されてきたわけです。しかもそれほど長文ではありません。岩波文庫で50ページほどです。それを丸ごと味わって読みたいという人は、ぜひご参加ください。