山びこ通信(2012/2月号)より、クラスの様子をお伝えします。(以下転載)

 

『イタリア語入門』 (担当:柱本元彦)

今学期から受講生が一名増えました。講師を含めてわずか三名ですが(つまりこれまでは一対一の個人授業だったわけです)、それでも<クラス>という感触が生まれ、「複数の人間がひとつの部屋のなかで一緒に何かをする」ことにはやはり格別な意味があるのだなあ、と今さらながらあらためて思わされました。

前学期で読み残したデ・クレシェンツォを終えた後、新しいテクストとして<エッセイ>を取り上げました。美術関係の<コラム>を除外すれば、今までは基本的に<物語>の語り口でつづられた文章が中心でした。いわゆる客観描写の文章です。それに対して<エッセイ>は、著者の思いを直接組み立てた主観的な言葉で書かれています。このような文体は、慣れるまで少し難しいかもしれません。曖昧な(多義的な)表現を曖昧に残したまま、ある程度の許容範囲を保ちながら読みすすめ(がまんのしどころですね)、次第に明らかになる意味を後から捉えなおしていく必要もあります(もちろん最後まで解釈の余地は残されるのですが)。テクストに選んだのは、たまたま手元にあったエリアス・カネッティの文章です(ドイツ語原文のイタリア語訳)。名著『群集と権力』(日本語訳は法政大学出版から)などで有名なカネッティは、イタリアでもよく読まれています。彼の小さなエッセイ集『Potere e Sopravvivenza(権力と生存)』から二編、「論語のなかの孔子」と「蜂谷医師の広島日記」を抜き出しました。身近なテーマですので、よりいっそうの興味をもって読めるのではないかと考えます。

(柱本元彦)

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