漢文クラス(2012/2/27)

今回は、魏の文帝「善哉行」を読みました。

○「薄暮」の「暮」という字について、簡単に成り立ちのようなことをお話ししました。

中国には太陽が十個もあったというのは大昔の話で、あとからは「天に二日無し」というほど、太陽は「たった一つ」であることを象徴するものです。それなのに、「暮」の字には、どうして「日」がふたつも入っているのでしょうか。

「暮」から下の「日」を取ると、「莫」という字になります。これは「な-シ」と読まれる字ですが、実は、この「莫」こそ、「暮」のもともとの姿でした。「莫」は、「艹(=艸)」と「日」と「大」に分けられますが、もともと「大」の部分も「艹」から変化した形だと言われています。つまり、たくさんの草のなかに「日」が落ちた様子を描いたのが、「莫」という字のはじまりだったというわけです(後漢の字書『説文解字』による)。

「日」や「艸」のように、あるものの形を図案化して文字を作ることは、「象形」と呼ばれます。また、「日」に「艸」のような図をパーツとし、それらを組み合わせて新しい字を作れば、それは「会意」(デザインの組み合わせ)です。太陽や草のように、絵に描けるもの、図にしやすいものの場合は、文字にしやすいのです。

では、「ない」ことを表すには、どういう絵や図を描けばいいのでしょう。ためしに、「ない」の絵を描いてみてください。数字のなかで「0」が最後にできたと言われるように、「ない」ことを表現するのはなかなか難しいことなのです。

そこで昔の人は、「ない」を表すことばの発音が、「莫」(くれ)という字の発音と同じ(あるいは似ている)ということを利用して、「莫」という字に、もともとの「くれ」以外に、「ない」の意味を付け足すことにしました。これを「仮借」と言います。

どうにも絵や図にしにくかった「ない」が、ようやく形を持ったわけです。ところが、「莫」が「ない」の意味で使われることが多くなると、どういうときには「くれ」の意味で、どういうときには「ない」の意味なのか、だんだんややこしくなってきます。

そこで、「くれ」の意味のときには、さらに「日」をひとつ足して「暮」とすることで、「ない」と区別することにしました。「くれ」は太陽と関係があることばなので、「日」が付いていると分かりやすいということなのですが、それで「日」がふたつになってしまったわけですね。

こうして、「くれ」は「莫」を「ない」に譲ることにして、「暮」になりました。住むところがなかった「ない」に「莫」という家を貸してあげていたら、お客さんや郵便物がみんな「ない」を目当てにやってくるので、「くれ」が家をもう一軒、新築したような、なんだかそんな感じですね。

いまの日本語では、「くれ」の意味には必ず「暮」の字を当てますが、中国の書物でも、「暮」の字が定着するまでは両方の字が「くれ」として使われていたので、そのころの漢文を読むときには注意が必要です。

「仮借」によってできあがった漢字は、「暮」以外にもたくさんあります。「暮」と「莫」の関係と同じようなものに、たとえば「原」と「源」、「然」と「燃」などがあります。これらについては詳しいことは書きませんので、それぞれの字の関係について、ちょっと推理してみてください。

木村