『漢文入門』 (担当:木村亮太)

ある人は漢詩の世界に遊びたがっていて、ある人は『三国志』が読みたいと言い、ある人は儒家の教えに興味があるかも知れません。みなさんは、この3人の学ぶべきことは似ていると思いますか。それとも、違っていると思いますか。私の答えは、似ているところも、違っているところもある、という意地悪なものです。

杜甫の詩を味わうには、新緑にすがすがしさを覚え、遠くに暮らす友人を気にかける心の豊かさが大切です。劉備や孔明たちは、見たこともない土地を駆けまわり、聞いたこともない役職に就いています。孔子はときに変わったことを言い出しますが、素直に「はい」と従ってください。口答えをしてはいけません。これが違っているところです。

似ているところは、(もうお気づきかも知れませんが、)やはりどれも漢文だということです。そして、漢詩、歴史書、思想書、どの種類の漢文を読むのにも必要なのが、訓読という方法です。

訓読とはなにかと言えば、中国語の規則をひとつひとつ日本語の規則に置き換えて読むやり方のことです。この方法はとても良くできているので、ほとんどどのような文章にも対応することができます。訓読を身につけることは決して容易なことではありません。ですが、どんな規則でも数には限りがありますから、途中まで憶えてしまえば、あとは応用の繰り返しでどうにかなるものです。もっと難しいのは、夏の夕陽の鮮やかさに驚いたり、知らない人の名前をとことんまで調べたり、母親にとっての孝行息子でいることの方です。

漢文訓読のなかで使われることばは、当然のことながら私たちの日常の言語ではありません。では、古代の人にとってはどうだったのでしょうか。平安時代の貴族も、江戸時代の武士も、漢文を読むのはとても得意でしたが、彼らも漢文訓読のような日本語で家族や同僚と話していたわけではありません。漢籍を読むときや、自分で漢詩を作るときなどに、訓読の知識を活かしていたに過ぎないのです。最初は苦労して勉強したはずです。

私たちが漢文訓読を学習することは、あるいは古代の人たちの営みを再現することと言えるのかも知れません。

(木村亮太)

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