『大学進学の先にあるもの』

第4回の講師は、宇梶卓(うかじまさる)先生。

「大学進学の先にあるもの」というテーマで、自分史もまじえながらの「何で大学に行くの?」というトークでした。

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「栃木は、どこにあるか知ってる?」(自己紹介)

自分史では、栃木にある自然の中を、ターザンごっこをしたり、それに使う蔓を工夫したり(底なし沼を越えたり)、しょっちゅう川へ泳ぎに行っていた少年時代だったと伺いました。

家で「勉強しなさい」と言われると、しなければいけない意味が分からなくて、とても苦労したそうです。

たとえば「中3に上っても三単現のSを、理解していなかったくらい、英語の成績はよくなかった」と。

それが変わっていったのは、反対に「しなければいけない」の先にあるものが薄々見えてきたからだと言います。今の勉強とその先の勉強とで線引きをせず、興味の向いたことがあれば、自分から(恩師によって)先に取りに行くようになったそうです。

その先取り勉強とは、一つは、郷土史の好きな父親の書斎で、いつも見かけていた『柳田国男全集』。その読破が大きな自信となり、柳田国男から、今昔物語をはじめとする様々な世界につながっていることも発見したそうです。(読書の先取り)

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また歴史の先生が、哲学出身で、その先生の影響も大きかったそうです。先生から渡された哲学書は、『存在と時間』。

一つのことから色々な道が見つかるので、本当にどれが自分の道になるのかと迷ったそうです。哲学、国文学、民俗学、心理学、歴史学、社会学…しかし結果的に、こうした多様性こそが、宇梶先生が大学で一層深めるテーマになったというのでした。

私は、ターザンごっこで宇梶先生が発揮されたような、遊びを楽しむ工夫が、勉強の時にもあったのだろうと思いました。つまり、遊びでも、勉強でも、自分からその先を取りに行く限り、夢中になれるものなのだろうと。

また宇梶先生には、スチューデント・アパシーについてもお話ししていただきました。

「何でもできる」せいで「何をしたらいいのか分からない」といった無気力状態に、どうして大学生が陥ってしまうのか?

それは、それまでの時期の過ごし方に何か問題があるのではないか?

小学生の時には手を上げていた光景が、どうしてなくなるのか?

小論文の白紙が埋まらないのはなぜか?

そういった点から、失敗を恐れないで、自分からアクションをかけることの大事さを熱く語ってもらいました。

大学進学の先にあるものは、果たしてアパシーなのでしょうか。それとも、かつて夢中になって先取りしたことの続きなのでしょうか。タイトルを改めて思い起こすと、それはむしろ「大学進学の先にあるものは、今日からでも先取りできるのです」という、宇梶先生からのメッセージだったように思います。

「本当に楽しいと思えることには、先取りができるはずです。失敗を恐れないで。恐れて何もしないことが不自由なのです」

(レポート・福西亮馬)

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