今回は『韓非子(集釈)』姦劫弑臣篇の第2段落目から読みました。

今回のところの集釈には、テキストの乱れ、文字の異同に対するコメントがやや多かったように感じました。

テキストの乱れというものは、古典を読むときには避けて通ることのできない問題です。長期にわたる伝承の過程で、文字が抜けてしまったり(脱)、前後してしまったり(倒)、余計な文字を書き加えてしまったり(衍)、ということは少なくありません。

そこで、学者たちは、複数のテキストを見比べて文字の乱れを正し(校勘)、そのことを丹念にメモしました。多くの場合、そのようなメモは読者にとって非常に有益なものです。しかし、当然のことながら、それらのすべてを鵜呑みにすることはできません。

確かに、もとの文字のままでは文章を読み進めることができないというのであれば、そこに何らかの誤りがあることが疑われますが、或いは、本には間違いはなく、読み手の力不足が原因で「読めない」ということも往々にしてあるからです。もしかするとそのままでも読めたかも知れないのに、誰か一人が「おかしい!」と声を上げると、我も我もと何かを言おうとする人が出てくることもあります。

『韓非子』(に限らず、ですが)の直筆原稿が存在しない以上、「正解」はどこにもありません。そのことをよく理解し、客観的な立場から、誰それの意見は面白い、誰それの意見には無理がある、というふうに、余裕をもって判断ができるようになると、古典を楽しむ、ということにもつながるのではないかと思います。

木村

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