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温故知新と西洋古典

山びこ通信2017年度秋学期号(2017.11.08発行)より、巻頭文をご紹介します。

温故知新と西洋古典

山の学校代表 山下太郎

 「古今東西」という言葉があるが、「東の今」を生きる日本人にとって、一番距離の遠いのが西洋の古典(クラシックス)である。ここで言うクラシックスは音楽のクラシック(西洋古典音楽)のことではない。クラシック音楽なら幼稚園の子どもでもピアノを習って親しんでいる。他方、西洋文明のバックボーンをなすクラシックス(西洋古典学)に我が国の教育は無関心を決め込み、子どもたちが学校教育で接する機会は皆無に近い。
 一例として、プラトンやキケロの翻訳を読み議論する機会が学校で用意される世の中になればと心から願う。これらは西洋の古典であると同時に、人類の古典でもある(音楽のクラシックがそうであるように)。それが難しいとしても、せめて国を代表する政治家を志す若者には、西洋古代の哲人たちが国家について何をどう考え、どう論じたか、学んでほしい。
 グローバル時代と言われて久しいが、我々はいまだ和魂洋才の呪縛から逃れることができずにいる(今は和魂の学びも怪しい)。古典は社会の常識を作る。戦後古典をなおざりにしてきた弊害が今の世相に表れ、前代未聞の非常識が連日のように新聞を賑わせている。西洋古典は世界の常識を形成する。日本は自国のことだけを考えてよいわけではない。地球の未来、人類の未来に責任を持つために、東洋の古典とともに西洋の古典を学ぶ必要がある。
 山の学校では西洋古典の言語をじかに学ぶ機会を設けているが、なぜ現代人がギリシア語やラテン語を学ぶ必要があるのだろうか。この問いは、上で述べたようにわが国で議論されることはなく、欧米社会で問われてきた問いである。ラテン語は欧米社会の漢文である。それゆえ同じ趣旨の問いはわが国にもある。「なぜ古文や漢文を学ぶ必要があるのか」と。答えは「温故知新」ということになる。
 古典は「会話」するために学ぶのではなく、古典作家と「対話」するために学ぶのである。それが社会の津々浦々で行われることによって、社会の常識が形成されていく。その意義が信じられ、実感されるゆえ、古典は営々と読み継がれて今がある。その証拠に、東西を問わず、古典作品は今も目の前に読める形で届いている(それを可能にするのが文学部の仕事である)。
 目まぐるしく移り変わる現代社会において、古典を読む意義はますます大きなものになっている。それは西も東も変わらない。温故知新の意義は、すでに多くの人たちによって語られてきた。ただ、わが国で「古典」という言葉を聞いて、古文漢文(日本の古典と中国の古典)をイメージする人はいても、ギリシア・ローマの古典を想起する人は皆無に等しい。
 私のささやかな提案は、一人でも多くの日本人が、クラシックス(西洋古典学)というジャンルに親しむことである。なぜかと理由を問われるなら、日本の法律、政治、教育、その他明治開国以降西洋を手本として取り入れた諸制度の根幹をなす精神にじかにふれることができるからだ。逆に言えば、それを知らずに、民主主義や教育の意義を語ることはできないだろう。たとえば、なぜ学校で勉強するのかと子どもに問われて答えに窮する大人は多い。人間を作り、市民を作るためである。言い換えるなら、民主主義を支える主権者を作るために子どもたちは学校で学ぶ必要がある。けっして、立身出世に役立てるため、といった個人的な理由で公教育が用意されるわけではない。
 学問に有用性があるかどうかの議論がある。イソップに「胃袋と足」と題する話がある。胃袋も足も、心臓も脳も、体を構成するすべての部分が大事である。どれが一番ということはない。学問についても同様で、すべてのジャンルに存在理由がある。どれかが欠けたら穴の開いた風船になる。便宜的に理系と文系という言葉を用いれば、理系も文系もどちらも大事であり、虚学と実学のバランスも同様である。
 理系では基礎研究が大事であるという議論をよく耳にするが、それだけ基礎研究が大事にされてきた証拠といえる。コンセンサスあればこそ、そうした議論が繰り返し出てくるのである。ひるがえって文系において、世界を視野に入れるならクラシックス(西洋古典学)の研究は不可欠であるが、このジャンルの研究が大事だという意見を耳にしたためしはない。つまり、ここだけがぽっかりと穴が開いている。
 コップに水が半分入っている。この事実は良くも悪くも受け取れる。私が上で述べてきたことは、普通に読めばネガティブな話だが、視点を変えるとポジティブに聞こえる。明治開国以来、風船に穴のあいた状態で、よくぞここまでやってきたと思う。あとは穴をふさげばよい。それができたとき、この国の風船は、個人であれ学問の全体であれ、どこまでも高く世界の大空を飛翔するだろう。徐々にであってもそのような方向に世の中が変わっていくことを願いつつ、50年先も100年先も、山の学校は変わらぬスタンスで活動を続けていきたい。(山下太郎)

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