福西 亮馬

2・3年生クラスで、ドリルをしている時のことです。

「せんせい、はよぅ、まるつけてー」

ある生徒の声です。私は、別の生徒への説明が終わると、はいはいと、声のする方に寄っていきました。その時ふと、去年ならば、よくその生徒のそばに座っていたことを思い出したのでした。

「はい、まる。これも、まる。えらいなあ。この計算、去年むずかしかったところやのに、わかるようになったんや…」
「お母さんが、『このやり方でええよ』って、言わはったん」
「そうかぁ。お母さんのそのやり方で、あってるんやで。…はい、ぜんぶまる」

私は、その子の心の中に、お母さんとのやり取りを聞くような思いがしました。春休みに、お母さんと一緒に解き終えた1冊で、よほど自信がついたのだろうと思います。

今では反対に、私が間接的に見ている時間の方が増えました。そして黙ってしている時は、心の中のお母さんが見ておられるのだろうと感じるのです。先週も、知らぬ間に9ページ分も宿題をして来られ、もう2冊目のドリルを終えようとしています。

下村先生が担当されている1年生たちも、今は頑張っています。しかし彼らの頑張りもそうですが、私は、お子さんについて見ておられる保護者の方のひたむきさに、いつも頭の下る思いがするのです。

今でも継続して、宿題を欠かさずにして来られることは素晴らしいことです。本当にありがたいことです。

「お家ではこうしているのですが、最近になるとこうなので…。だからこうしてみようかと思うのですが…」といったエピソードの一つ一つが、子どもたちにだけでなく、私たちにも、頑張ろうという励みになっています。そして来週の教室で、子どもたちから宿題を見せてもらう時にまた、

「日曜日にお母さんに見てもらった。こないだは、お父さんとした」

というような声を子どもたちからも聞くと、私もまた、いつか親からそうしてもらったことを思い出して、無性に嬉しくなるのです。

どうかこの調子で、山の学校でだけでなく、お家でも、勉強の習慣をつけてあげて下さい。それには、それぞれのお家で、お子さんとルールを作るのが良いと思います。おそらく、ドリルが後の方になればなるほど、子どもたちの「むずかしい」と感じることが多くなり、説明にも倍の時間がかかってきます。けれども決してゼロにはしないようにしていれば、いつかドリルは終わります。

そして1冊を乗りこえれば、そこから見える景色が全然変ってきます。それまで一緒に頑張りましょう。
(2005.6)