0511 英語講読(J.S.ミル『自由論』)

前回は自由と支配権とをめぐる歴史を概観し、多数者の専制に話が及んだところまで読みました。今回はその続きです。

 

多数者の専制では強制が内面のより深い部分にまで及んでいるので、だからこそ自由という支配に対する抵抗が必要だというのがミルの所論です。どこまで支配権を及ぼして、どこには及ぼさないかということが実践的な問題になります。これまでのところはそれを感情や好み、あるいは利害関係で決定するということが主でした。そうなると支配権の内容をめぐって争うことはあっても、どこまで支配権を及ぼすべきかという問いはあまりなされません。唯一とも言える例外が信教の自由です。プロテスタント間の争いが一段落すると、信教の自由が求められるようになりました。

 

英国では伝統的に政府の支配権が拡張することがあまり好まれなかったのですが、ある人は政府の支配権をもっと拡張すべきだと主張し、ある人は拡張すべきでないと主張するという状態になっています。自らの好みや利益に基づいたそうした議論は、その結論がどちらであっても同じくらい間違っているとミルは断じます。そうではなくて、どこまで支配権を及ぼすべきかということを合理的に考察するのが大切であると、この後の議論が続きそうです。

 

簡単にまとめると以上の通りですが、原文を読むことによって感じられることもあります。例えばカトリックのことをwhat called itself the Universal Churchと表現していたりするのは興味深いです。また、単純に政府の支配権が少なければ少ないほどよいといった議論をせずに慎重な立場を取っているのも、通俗的なミル→個人主義→小さな政府といた連想を打ち砕くのに十分です。