岸本です。

秋学期の9月から、長い間コツコツと読み進めてきた『人間失格』を、今週のクラスでようやく読み終えることが出来ました。
さすが名作とよばれるだけあって、いろいろと考えさせられる結末でした。

今回読んだ場面では、葉蔵がいよいよ精神病院に送られました。
そこで彼には、「人間、失格」の烙印が押されることなったのです。
父の死後、地元近くの茅屋に隠棲することになりますが、そこでの生活はもはや「張合い」のないものでした。
つまり、そこには「幸福も不幸も」なく、「ただ、一さいは過ぎて行」くのです。
あとがきの部分では、葉蔵の手記を読んだ「私」と京橋のバーのマダムが葉蔵について語っていましたが、両者の葉蔵の評価には食い違いがありました。

今回まず議論になったのは、精神病院に運ばれた葉蔵の「心のつぶやき」でした。
精神病院に送られたことで、世間から「狂人」とみなされた葉蔵ですが、彼にその自覚はありませんでした。
「狂人」とはえてしてそういうものだと、彼は自覚していましたが、自身がそうだとは、どうしても納得のいかないようなつぶやきでした。
生徒さんとは、「誰が狂人と一般人の区別を決めるのか」が議論になりました。
「世間」、「社会」などいろいろな意見が出ましたが、共通していたのは、「周囲」によってその基準が変化するということでした。
これは、誰もが「一般人」から「狂人」となりうることを示すかもしれません。
この「心のつぶやき」に込められているものは、とても重いと思いました。

続いての議論は、隠棲における葉蔵の「笑い」でした。
女中が「カルモチン」と間違えて買ってきた「ヘノモチン」という下剤によって腹を下した葉蔵は、女中に小言を「言いかけて、うふふふと笑って」しまったのです。
何故葉蔵は笑ったのでしょうか?
その出来事、あるいはやりとりが面白いものだったのでしょうか?
生徒さんからもそのような意見が出たのですが、カギは「喜劇名詞」にあると私は思います。
「廃人」は喜劇名詞であり、「廃人」である葉蔵が飲んだ下剤「ヘノモチン」もまた「喜劇名詞」だとすれば、葉蔵の今の生活は「喜劇名詞」で表現されるまさに「喜劇」。
散々不幸だと考えた自身の人生の行く末が「悲劇」ではなく、「喜劇」だったと、このとき葉蔵が気づいたならば、彼は笑うしかなかったのではないでしょうか。
この説明を、生徒さんもなんとか理解してくれました。
全体をしっかりと読んできた成果だと、私は思います。

最後の議論は、「あとがき」における京橋のバーのマダムの葉蔵の評価でした。
手記を読んだ「私」は葉蔵は精神病院に入れられて当然だと考えたようですが、マダムは「あのひとのお父さんが悪いのですよ」、「神様みたいないい子でした」と評するのです。
この違いはなぜ生じるのか?
名作の最後を飾る文言だけに、なかなかの難問です。
生徒さんも答えに詰まっていました。
しかし、それ故に重要な意味があるのでしょう。
議論の結果、葉蔵を「狂人」とみなす「世間」と、マダムは異なるということになりました。
「世間」に「人間失格」とされた葉蔵ですが、味方はちゃんといたのです。
それでは読者である「あなた」はどう葉蔵を評価しますか?
という問いかけが、この最後の文言には込められていると私は思わずにはいられません。

さて、長くなりましたが、来週は頑張って読み終えてくれた生徒さんが、読んで抱いた感想、意見、評価、考えさせられたことなどを自由に書いてもらえればと考えています。一言、楽しみです。

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