岸本です。

今年初のクラス。ということで、まずは正月に関することわざを見ていきました。
それから、『人間失格』を読み進めていきました。

正月に関することわざには、「一年の計は元旦にあり」や、「笑う門には福来たる」といった有名なものもあります。
ただ、具体的な意味を考えてみると、生徒さんは少し悩んでいました。
普段聞きなれた言葉を考え直す良い機会になってくれたのではないでしょうか。
また、あまり聞いたことがないという「門松の一夜飾りはいけない」や、一休さんの言葉とされる「門松は冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」という単に正月を祝うのではない、戒めの言葉も学んでもらいました。

その後、昨年から読解を進めている『人間失格』を、引き続き読んでいきました。
昨年の最後のクラスでは、「世間とは個人じゃないか」という難しい場面をなんとか読解しました。
それを受けて、今回は主人公たる葉蔵の新たな「一本勝負」を見ていきます。
世間に対する恐怖が和らいだ葉蔵でしたが、依然として酒に頼り、酒におぼれた生活を繰り返していました。
大人向けの野卑な雑誌で描いた漫画には、イスラム教徒でありながら飲酒や戒律破りを吟じたオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の一部を挿入して、みずからの自堕落な生活を正当化しようとしていました。
最初は、詩の意味を理解しかねていた生徒さんたちでしたが、背景知識を解説して、それを踏まえて読み直すと、葉蔵がどういう意味でこれを引用したのか理解してくれたようです。
しかし、詩の本来の意味と、自堕落な生活を正当化しようとする葉蔵の意図が異なっていることは、興味深いですね。

そんな生活の中、葉蔵はヨシ子という若い女性と出会い、ある日、冗談で酒をやめるから「お嫁になってくれるかい」と言ってしまいます。
純粋な彼女はそれを信じ切って、翌日「(酒を)飲んじゃった」という葉蔵の言葉を聞き入れようとはしませんでした。
このヨシ子の態度は、「処女」という彼女の純粋さ故でしょうが、一種の気持ち悪さを、葉蔵同様に生徒さんも感じたようです。
しかし、彼女の「ヴァジニティ」に惹かれた葉蔵は、前回のクロウの詩に詠われた「蟾蜍」であることを避けるために、彼女を内縁の妻とするという「一本勝負」に出たのでした。
しかし、これが「大きな歓楽」よりも「大きな悲哀」をもたらすことになると暗示した上で、第三の手記の前半部を読み終えました。

『人生失格』もクライマックスに近づいてきました。
葉蔵の「人生」がどのように「失格」なのか、少しずつ分かってきたと思いますが、今後は最後に彼の人生がどうなるのか考えながら読んでいきましょう。

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