9/20 中学ことば

岸本です。

前回から太宰治の『人間失格』を読み始めました。
今日は、第一の手記まで進めることができました。

第一の手記は、他人を理解できず、それ故に人間を恐れ、家庭でも学校でも道化を演ずる大庭葉蔵の幼年時代が描かれていました。
真夏なのにセーターを着たり、綴り方に滑稽な小噺を書いたり、一見するとお茶目な葉蔵ですが、心の奥底では他人、人間が理解できず、恐れ悩んでいたのです。

第一の手記を読み終えた後、再びはしがきに立ち戻り、幼年時代の写真の描写を読み直しました。
改めて読み直すと、はしがきの「私」がいかに的確にその写真を表現していたかがわかりますね。

その後、生徒さんに第一の手記の感想を聞きました。
ある生徒さんは、はしがきのように「気持ち悪い」との印象を受けたようです。
また、「気持ちが理解できない」との感想もありました。
ある意味、葉蔵の気持ちが理解できないのは、彼らが「幸せ」だからかもしれません。
それに、極端な人間不信は理解しがたいものですが、クラスの様子を見ていた私からは、「敢えて理解したくない」という気持ちもあるように見えました。
それほど、太宰の筆致が生々しいものだったのかもしれません。

来週からは、第二の手記に入ります。
今までは何とか道化をうまく演じてきた葉蔵ですが、今後どうなるのでしょうか。
すこし怖いですが、楽しみにしたいと思います。