岸本です。

前回扱った「老子涵谷関に帰る」を読了しました。
簡単にあらすじを述べます。

涵谷関を去り砂漠に向かった老子が、戻ってきた際に
弟子の関伊に出会い歓待を受けます。
しかし老子は自らの思想が誤りであったと告白し、
関伊に授けた『道徳経』を焼くために持ち去るのでした。

まずは前回聞いた他の人の意見を踏まえたうえでの感想を発表してもらいました。

二人とも、双方の意見をしっかりと理解したうえで、老子と関伊のどちらが「被害者」なのかと論じていました。
どちらが「被害者」かと言う問題はどちらが思想的に「正しい」のかと言う問題に帰結すると私は主張しました。

次に老子の思想について私の知る限りの説明を行いました。
端的に言えば、春秋時代の伝説的思想家であり、「道」に従った「自然」の状態を重要視しました人物です。
そしてその影響は民間信仰などとの結びつきを経て、「道教」と言う形で、中国の思想に今現在も影響を及ぼしています。

それらの説明を踏まえたうえで、老子の思想の転換を扱ったこの作品の意義を私なりに述べました。
著者は旧来の「道教の祖」としての老子像に対して新しい見方を提供した。
これに関してどちらが「正しい」のかは言い切れないが、
伝統的な物事に対して革新的な見方を加えること自体に意義がある。
つまり「多面的」なものの見方の重要性をこの話は暗に示しているのだと言う意見です。

最後にこの話のまとめとして、感想や意見をまとめて書いてもらいました。
私の力量不足で上手く伝わっているか心配でしたが、「多面的な視角」についてはしっかりと理解してくれたようでした。
この「多面的な視角」は今後この『歴史小品』を読む上で役に立つだけでなく、他の文章を読む上でも生きてくると思います。

次回は「荘子 宋を去る」です。

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