12/12 歴史入門(高校)

岸本です。

前回、オスマン帝国の最盛期、スレイマン1世まで議論しました。

今日は、オスマン帝国の後半、20世紀初頭までを一気に概観していきます。

 

スレイマン1世後も、しばらくは強力な国家を維持していましたが、欧州諸国の近代化と共にその力関係は逆転していきました。

しかし、イスラーム教の広がる世界では、依然としてオスマン帝国が優位であったことは忘れてはならないでしょう。

18世紀になると、フランス革命の影響がナポレオンのエジプト遠征を通じてオスマン帝国にも広がっていきました。

昨年度の西洋近代で扱った内容が、ここでつながってきたことは生徒さんも興味深かったと思います。

かつて「オスマン」でくくられていた帝国は、「民族」ごとに分裂しようとします。

また、優位に立ち始めた欧州諸国との外交の中で、オスマン帝国も近代化を進めようと画策します。

しかし、かつて欧州を脅かしたイェニチェリがこの時期には特権身分と化しており、近代化に反対するなど、内部では近代化をめぐって争いがおこることもありました。

それでも、ムスリムと非ムスリムの平等を布告した「ギュルハネ勅令」の下で行われたタンジマートなどの上からの近代化は次第に自由主義を求める声を生み出していきます。

その声に応えたのがミドハト憲法でしたが、すぐに停止させられてしまいます。

「青年トルコ」革命ののちに行われた立憲政治も、最終的には実質的な寡頭政となるのです。

この時期、政府自体もトルコ・アイデンティティに基づく国家形成に傾いていったことが、現在にもつながっていく点でしょう。

第一次世界大戦での敗北は、トルコ革命となり、ここにオスマン帝国は滅亡します。

 

生徒さんとは、オスマン帝国のトルコ以外の地域について話が及びました。

確かに、近代史で扱った部分は世界大戦の直前でしたので、オスマン帝国統治下の話はあまりしていませんでした。

当時のオスマン帝国の領域には、現在多くの国家があります。

それらすべてを網羅することは難しいのですが、重要な地域をまた次回見ていこうと思います。

今年はこのクラスで最後となります。

来年からは、短いものでもよいので、本を一冊読む予定です。

それでは、よい年末年始をお過ごしください。