西洋古典を読む(2022/5/11、5/18)(その1)

福西です。

ウェルギリウス『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)を読んでいます。

いよいよ9巻に入りました。

1行目から122行目までを読みました。

アエネーアスが不在(アエネーアスは同盟を結びにエウアンドルスのもとを訪れている)であることを知ったトゥルヌスは、今が好機と、トロイア人の留守隊を攻撃します。

しかし留守隊は、アエネーアスのかねてよりの命令で、砦にこもって防御に徹します。

トゥルヌスは何とかしてこれを誘い出し、撃滅したいのですが、トロイア人は立てこもる一方。いっさいの挑発に乗りません。そこでトゥルヌスは、停泊中のトロイアの艦隊に目をつけます。これに火をつけようとすれば、そうさせまいとして、砦から兵が出てくるはず。そうやって、引きずり出すことができるだろう、と。

トゥルヌスの行動はとても理屈に合っています。彼が目的を設定し、それをなにがなんでも達成しようとすることは、人間らしい「苦労」だと言えます。

ところが、これに対して、怒った女神がいました。

大地の女神です。トロイア人の船は、イーダ山の杉でできています。大地の女神の生んだ神聖な杉が、トゥルヌスごときに燃やされるようなことはあってはならない、と。

大地の女神はそのことをユピテルに訴えます。

このパターンはこれまで、ウェヌスやユーノーのそれとして、何度も見てきました。

ユピテルは「母神よ、ご安心あれ」と、船を海の乙女たちに変身させます。乙女たちはイルカのように泳ぎ、トゥルヌスの松明から逃げ出したのでした。

船だった乙女たちは、海神の眷属となります。ということは、もうトロイア人のもとに帰ってこないわけで、「艦隊がなくなった」ことには変わりないのですが……。おそらく、「放火から助かった」という印象が大事なのでしょう。

こうした神の介入は、トゥルヌスの目には「不正だ」と映ったことでしょう。

(その2)に続きます。