『リンゴ畑のマーティン・ピピン』を読む(西洋の児童文学を読むC、2022/5/12)

福西です。

『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を読んでいます。

第3話「夢の水車場」と第3間奏曲を読み終えました。

受講生のMさんが、次のことを指摘してくれました。

海の色と、ピーターの目の色に、灰緑色(gray-green)という同じ表現が使われている

原文でそれを確認しました。(日本語は石井桃子訳)

Yes, it was true. The sea itself washed at the walls of the mill. She did not understand these gray-green waters.

そうだ、それは、ほんとうの海だった。海が、水車場の壁を洗っていた。かの女には、この灰緑色の波が何なのか、のみこめなかった。

 

She looked at him bewildered, and saw that he too was dazed. She looked into the gray-green eyes of a boy of twenty. She said in a voice of wonder, “Oh, my boy!” as he felt her soft hair.

ヘレンは、呆然として、かれを見あげ、かれも、われを失っているようすなのを見た。かの女がのぞきこんだのは、二十歳の若者の灰緑色の目だった。驚異にうたれた声で、かの女はいった。「ああ、わたしの若衆!」

同じ単語を使う時、作者の意図が込められていることが多いです。

gray-green waters

gray-green eyes

こう並べば、読者にはおのずと「waters=eyes」という連想がわきます。作者がそれを誘導しているのだとしたら、そこには作者の意図が込められています。

 

・ヘレンは水車場に住んでいた。

・まだ見たことのない海(gray-green waters)に憧れていた。

・水車場へ、まだ見たことのない男性として、船乗りピーターが現れた。

・ピーターが去った後、ヘレンは20年間、夢の中でピーターと語らう。

・20年後、ピーターが再び水車場に現れ、ヘレンに求婚した。

・ヘレンは「死んだほうがまし」と言って、断った。

・けれども、ピーターの目(gray-green eyes)が20年前と同じ色だと気付き、承諾した。

 

つまり、ヘレンが結婚を承知した理由は、この「海=目」が鍵になっています。

 

ヘレンの一番最後の夢の中で、夢のピーターはこう言っていました。

おまえの目は、これからも、おれにものを語りつづける。そして、ふしぎなのは、おまえの目のなかをのぞきこむと、暗いなかでものが見えるようなんだ。

それに対し、夢のヘレンは、

「わたし、これからは、けっして目をつぶらない。わたし、いつまでもあなたを、わたしの夢のなかにいれておく」

と。

ヘレンは、現実のピーターが現れたことで、いろいろと失望します。

・現実のピーターが夢で見たピーターのように若くないこと。

・現実のヘレンもまた若くないこと。

・ヘレンは自分の老化に改めて気づき、ピーターの前で恥を覚えたこと。

・求婚がもし看病に対するお礼の意味であれば、それは憐憫だとヘレンが思ったこと。

・いつものように、夢(空想)が見られなくなったこと。

・結婚すれば、夢を見る時間を永久に失うとヘレンが思ったこと。

しかし、ピーターの目の中は若いままでした。お互いの目にその若さを見つけられることに、ヘレンは気付き、結婚を承諾します。

 

夢と現実であれば、ふつうは現実の方が真実に近いと思います。

けれども、ヘレンとピーターにとっては、現実よりも夢の方が真実に近い、その真実はお互いの夢見る目の中にある、というのが、この『夢の水車場』というお話でした。

 

『リンゴ畑のマーティン・ピピン』の「結び」に、次のようなマーティン・ピピンのセリフがあります。

「その喜ばしい時というのは、われわれの子どもたちの助けをかりるだけでなく、おたがいのなかに見いだす子どもの助けで、いつも若々しく生きる人生だ」

と。