複数の解き方が同じ数式へ「潰れる」、という話

入角です。今日は「横4区画、縦3区画の平面を左下から右上まで行く道順の総数」を求める問題が出てきました。これを公式に当てはめて解くと、答えは7C3=35通りなのですが、授業では、なぜこの解き方で答えがでるのか、という話になりました。

7C3に与えられるひとつの解釈として、次のものがあります。スタートからゴールまでに、合計でかかる歩数は3+4=7歩。そのうち3歩が縦移動(残り4歩は横移動)です。したがって道順の総数は、「第1歩」「第2歩」……「第7歩」のなかから(縦移動のものを)3つ選んでくる選び方の総数と考えることができて、答えは7C3(=7×6×5÷3!)通り。

これは、「(名前のついた)ものの集まりのなかからいくつかを選んでくる」という考え方にもとづいた解き方です。しかし、「7C3」という式には、他の解釈も与えられます。

最初の平面の問題を別の考え方で解いてみます。道順の総数は、「→」4個、「↑」3個、計7個の矢印の並び替えの総数に等しいので、7!÷4!÷3!通り。これは7C3通りの形になっていますね。私はこちらの考え方のほうが自然な発想のように思います(三次元の場合でも同じように解けるので)。

このように、「7C3」という式には複数の解釈があります。これは、複数の異なる考え方も、式にしてしまえば、同じ式に「潰れて」しまう、とも言えます。

複数の異なる思考が同じ式に「潰れて」しまう――。だからこそ、数学の問題を解くときは、数式を立てるだけではなく、自分が辿った思考をはっきりさせ、日本語で記述することが大事だと思います。……が、しかし、思考が「潰れる」のは、本当に数式に限った話なのでしょうか?日本語で書かれた文章でも、「潰れ」が起きている可能性はないのでしょうか?いま読まれているこの文章は、私が考えたことを記しているつもりですが、「私が考えたこと」以外の意味が、この文章から解釈されえないという保証はあるのでしょうか……?