『リンゴ畑のマーティン・ピピン』を読む(西洋の児童文学を読むC、2021/9/16)(その1)

福西です。

『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を今日から読み始めました。

この日は、「はじめに」を読みました。

この物語は「伝承」というぼかされた始まり方をします。

アドバセン地方に古くから伝わる「若葉おとめ」という子供たちの遊びを、作者自らが説明します。

この遊戯をするとき、子どもたちのひとりは、いまでも、皇帝のむすめになり、もうひとりは旅の歌い手になり、残りのものは、(この組には、六人以上いてはならないのです。)若葉おとめ、紅白おとめ、黄金おとめになりますが、これが、この遊びのなかの三つの役です。

作者は、その遊びが今となっては、すっかりあやまった形で伝承されている、と嘆きます。

ジョスリンにジェイン、ジェニファーにジェシカ、ジョイスにジョーン、これが、おとめたちのほんとうの名まえです。また、美しいとらわれ人、ジリアンの名も忘れられました。そして、旅の歌い手は、子どもたちにとっては、ただの旅の歌い手でしかなく、さすらいの詩人、マーティン・ピピンは、とらわれているひめの恋人とさえ考えられ、この恋人は、おのれの欲望のために、やかましやのおとめたちから花や指環や、牢のかぎをだましとり、おのれの小舟にうち乗って、ひめとともに海を渡って高とびし、それからのちはしあわせに暮らしました、ということになっているのです。しかし、これは途方もないあやまりです。

そこで、起源の物語を伝え、一般の誤解を解くためにと、作者は筆を執ります。

こうして読者の目の前に、マーティン・ピピンが現れます。

(その2)に続きます。